ハロー!プロジェクト楽曲やテレビアニメ主題歌の作詞家として知られる児玉雨子氏。2023年、芥川龍之介賞候補作にノミネートされるなど小説家としても注目される彼女が、独自の視点で江戸文芸の世界を大胆に読み解く書籍が『江戸POP道中文字栗毛』です。編集を繰り返す松尾芭蕉の俳諧、流行語連発の『金々先生栄花夢』、江戸時代の銭湯スタイルを実況する『諢話浮世風呂』など、様々な文学作品から当時の流行りや生活を紹介、現代の感覚との共通点を指摘していきます。触れる機会が少なく、近寄りがたいと思ってしまいがちな江戸の近世文学を、現代ポップスやカルチャーにもなぞらえているので、世界眼を想像しやすく、気楽に楽しむことができます。『江戸POP道中文字栗毛』から、江戸時代の文芸や文化を垣間見てみませんか?
※本記事は児玉 雨子 著の書籍『江戸POP道中文字栗毛』(集英社)から一部抜粋・編集しました。
流行語ほんま草生い茂って山
──『金々先生栄花夢』の一部を超現代語訳してみた
wとワロタと草
以前、平成ポップカルチャーについて対談するという企画があり、その際にネットスラングと流行語について触れる場面があった。
私が十代の頃、笑いを表現する時は文末に「www」をいっぱいつけたり、「w」が発音できない話し言葉では「ワロタ」と言ったりしたのだが、しばらくして書き言葉でも話し言葉でも「草」が使われるようになった(*1)。
しかし令和ではもはや「草」というのも古い響きかもしれない。
「笑い方すらわからない電脳社会に声出してワロタ(真顔)」などと古(いにしえ)のオタク同士の痛いやりとりをしたが、対談原稿からは見事に削除されていた。
やはりあまりにも痛すぎたのだろう。
『日本国語大辞典』によれば流行語とは「ある一時期に、多くの人々の間で興味をもって盛んに使用される単語や句」と説明されている。
もちろん、この流行語というものは近現代に限ったものではなく、江戸時代にも存在していた。
たとえば辞書編集者の神永曉さんの著書『さらに悩ましい国語辞典』には、ふたつの江戸時代の流行語が紹介されている。
現代の口語では「さむっ!」「うるさっ!」と形容詞の語幹のみを使った強調表現があるが、1809~13年刊の『浮世風呂』という滑稽本には「ヲヲ、さむ」など、同様の用法は江戸後期には既に見られていたそうだ。
さらに現代語の「ディスる」や「事故る」のように、名詞+「する」の形も実は歴史がある。
江戸中期から後期にかけて刊行された洒落本の中には「茶漬(ちゃづ)る」という表現が散見されるそうだ。
ちなみにこれはそのまま「茶漬けを食べる」という意味である(*2)。
この二語はどちらも略語だが、短縮されて聴いた感じが新鮮な言葉だけが流行語とみなされるわけではない。
2010年代後半頃に使われていた「江戸川意味がわか乱歩」「了解道中膝栗毛」など、わざわざ言葉を長くする表現もある。
この時の江戸川乱歩や「道中膝栗毛」は、ただおもしろい語感のために持ち出されていて、「意味がわからない」ことや「了解」という感情に、新たな意味を足すものではない。
日本語は母音がべったりこびりついた言語で、英語のようにリズミカルじゃない......なんて話を、作詞家やアーティスト達の間で語り合う時がある。
実際、細かいメロディに日本語の歌詞を書くのはかなり違和感があって、英語や韓国語の歌のような跳ねた感じを作るのはなかなか難しい。
それでも、日本語はべったりした言語でありながら、意味を超越した語感重視のスラングもこのように生まれていたのだ。
「~山」という流行語
そんなふうに語感を優先したスラングは江戸時代にも存在した。
たとえば一七七五(安永四)年、恋川春町作・画『金々先生栄花夢』(*3)にそれが登場する。
第四章でも軽く触れたが、本作は現代の漫画のように絵と文字を使った大人向けの草双子「黄表紙」というジャンルの嚆こう矢しとなった作品だ。
田舎出身の金村屋金兵衛は、目黒不動尊名物のあわもちが出来上がるのを待つ間のうたた寝の夢の中で、金持ちの家の養子となり「金々先生」と呼ばれ栄華を極める。
しかし、何もかもがつかの間。
派手に遊びすぎて勘当されてしまったところで目が覚める。
人生は一炊(一睡)の夢のようだ、というオチだ。
タイトルの「金々」がそもそも当時の流行語で、当世風(当時の「今どき」といった意味)の身なりでイケているさまを指す。
このように本作はこの「当世風」というのがキーワードになっている。
恋川春町によって描かれた絵では、都会的な服装や身のこなし、そして文章では流行語や遊里での遊び方などが、冴えない田舎者の金兵衛の憧れとして描写されている。
本作には「~山」という流行語が何度か登場する。
たとえば、金兵衛が目黒不動尊のあわもち屋に入るシーンだ。
(金兵衛)「なんでも江戸へ出で、番頭株とこぎつけ、そろばんの玉はずれを、しこため山と出かけて、おごりをきわめましょう。」
超現代語訳:
(金兵衛)「ぜひとも、江戸に出てきて、番頭というような地位にまでこぎつけ、帳面に記されていないような役得の儲けをこれからしこたま貯め散らかして、 贅沢しまくってブリ突き上げるよ~!」
この「しこため山」は「しこたま貯める」を縮めた「しこため」に、当時流行していた「山」という接尾語がついた表現だ。
また「と出かけて」は「~山」のあとに続きやすく、ある行動を起こそうとする、勢いのあるニュアンスを足す表現だ。
現代語では「~し散らかす」が、最も近い勢いがある言葉だろう。
上記のように超現代語訳してみた。
【注釈】
(*1)「www」がまるで草が生い茂っているように見えることから、「笑う」を「草生える」や単純に「草」と表現するようになった。
(*2)ちなみにこの名詞+「する」の形の流行語・若者言葉は明治時代にも見られ、竹内洋『学歴貴族の栄光と挫折』によれば、旧制高校生は留年することを「ドッペる」と表現していたそうだ。語源はドイツ語のdoppelt(二倍の)+「する」。