翌日。午前9時。
「暑くなりそう......」わたしはつぶやきながら、身じたくをしていた。
これから昼までの3時間、一郎の船でマヒマヒ釣りに行く。店で使う食材の調達だ。
ハワイ語で〈マヒマヒ〉、日本語で〈シイラ〉。
美味しい白身魚だけれど、日本人にはなじみがない。見栄えが、美味しそうではない。
そんな理由で、ほとんどの人が手を出さない。
あるときの鮮魚店、1メートル近いマヒマヒが200円で売られていた。それでも、売れないようだった。
ときどき、岸壁に捨てられているのを見る事もある。
丸い眼を見開いて捨てられている姿は、物悲しい......。
美味しい魚なのに、見栄えが悪いから捨てられている。〈お前には用がない〉と戦力外通告されて......。
そんな光景を見るたびに、わたしの胸は切なくなる......。
そのマヒマヒを食材として使うため、わたしと一郎は釣りにいこうとしていた。
もう7月の終わり。真夏の陽射しが、カリカリと照りつけている。
いつでも頭から水を浴びられるように、ワンピースの水着。その上にショートパンツを穿いた。店を出ようとすると、
「はい、これ」と愛。何かのチューブを差し出した。見れば、
「陽灼け止め......」わたしは、つぶやいた。
「そっか、いちおう塗っといた方がいいよね」とつぶやく。自分の肩に塗ろうとした。すると、
「ダメだよ、海果」と愛。
「ダメって......」
「それは、一郎に塗ってもらうんだよ」
「一郎に?」と訊き返す。愛がうなずき、
「まったく奥手なんだから......」と言った。
「だいたい、陽灼け止めって、男の人に塗ってもらうものなんだよ」愛が言った。
「それって、どこで教わったの?」とわたし。
「漫画」と愛。
そうか......。最近、愛は漫画を読み放題の無料アプリをスマートフォンに入れた。それで、しょっちゅうラブコメ漫画を読んでいる。
「海果、一郎といい線いきかけてるのは、わかってるんでしょう」と言った。
「はあ......」
「とりあえず、陽灼け止めを肩に塗ってもらうとか、そういうスキンシップで一歩前進だよ」と愛。
「はいはい」とわたしは苦笑い。
〈このませガキ〉の言葉は吞み込んだ。陽灼け止めを、デイパックに入れた。店を出た。
ザバッ!
船のへさきから飛沫が上がった。
ガラス玉のような飛沫が、真夏の陽射しを浴びて光る。
一郎が操船する小型の漁船は、小さな波を切って、沖を目指す。
港から南西に向かっていた。
練習している大学ヨット部のディンギーをかわし、さらに葉山沖へ......。
10分ほど走ったところで、速度を落とす。一郎は、二本のルアーを船の後ろに流した。
これで、マヒマヒがかかるのを待つ......。
青というより紺色に近い夏空。
白いソフトクリームのような雲が、もり上がっている。
まだ9時半なのに、陽射しは強い。
そこで、わたしは思い出した。愛が渡してくれた陽灼け止め......。そうだ、あれの出番だ......。
かたわらに置いたデイパック。そこから、陽灼け止めを出しかけた。
そのとたん、ジャーッとリールが鳴った。
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