現代の代表的な歌人であり、優れた生物学者でもある永田和宏さんがこの度「現代短歌大賞」を受賞しました。近刊の『永田和宏作品集Ⅰ』(青磁社)並びに過去の全業績に対してです。
きみに逢う
以前のぼくに遭いたくて
海へのバスに
揺られていたり
若き日の作を収めた第1歌集『メビウスの地平』から恋の歌です。
「あう」を意味する「逢」と「遭」の文字の違いに着目しましょう。「逢」の字は、巡り逢いや逢い引きなどに使われます。
「遭」の字は、災難に遭う、事故に遭うなど、好ましくないものに直面した時に使われます。この歌は「きみ」に逢う前と逢った後では、青春が一変したという歌なのです。「きみに逢う以前」の自分などどこかに飛んでいってしまっているのです。
『短歌』12月号で永田さんの特集を組んでいました。その「きみ」、やがて妻となった河野裕子(かわのゆうこ)さん(残念ながら2010年に死去されました)についてインタビューで語っています(以下引用)。
「俺の人生って、河野裕子に出会ったことが、そのすべてだったという気がするな。もうサイエンスも何もかも全部除けて、河野に出会ったこと、それだけでいい」。
『短歌』12月号に永田さんの新作50首も出ていました。その中でも、次の1首に特に目が留まったので、ご紹介したいと思います。
抱きたいと思へる女性が
どうしやう
どこにもなくて
裕子さん、おい
永田さんはたとえば「抱き寄するとき掌(て)に触れて汝(なれ)も持つ翼捥(も)がれし痕か鋭く」(『黄金分割』)のように、「抱く」をテーマにした歌を多く詠み続けてきた歌人としても有名ですが、この1首は絶唱だと思います。彼女と出逢い結ばれ、抱き続けてきて、世に亡きあとも抱いているという歌なのです。前出のインタビューの言葉を見事に作品化していると私は読みました。
『万葉集』は相聞歌(そうもんか)を重要な部立(ぶだて)にしています。永田さんは愛を詠み続けてきた最も伝統的かつ現代的な歌人です。
<Column>
皆さんの作品もそうですが、短歌は日常の暮らしを題材にしています。それは当然であり、大切なことです。ただ、どのように歌うかという工夫は必要ですね。例を挙げます。
わが使ふ光と水と火の量の
測られて届く
紙片(しへん)三枚
『雲の地図』大西民子(たみこ)
お分かりでしょう。
電気、水道、ガスの使用量の通知について歌っています。「光と水と火の量」の表現がとても洒落ていて楽しいですね。暮らしを見つめる目まで変わりそうです。
伊藤一彦(いとう・かずひこ)先生
1943年、宮崎県生まれ。歌人。読売文学賞選考委員。歌誌『心の花』の選者。