歌人の伊藤一彦さんによる短歌の入門。今回は「一語の効果」に注目です。
刊行中の『日本文学全集』(河出書房新社)の第二十九巻は『近現代詩歌』で、明治以降の詩・短歌・俳句のアンソロジーです。短歌はエッセイストとしても活躍している歌人・穂村弘氏の選で、五十人が選ばれています。
みどりごは
泣きつつ目ざむひえびえと
北半球にあさがほひらき
五十人に選ばれた一人の高野公彦氏の一首です。赤ちゃんが泣きながら目ざめるというのは、普通の場面ですね。そしてそんな朝に朝顔の花が開くというのもありふれた場面といえます。しかし四句の「北半球」の語にはびっくりしました。「家の軒の下」などではないのです。でも確かに家の軒の下も「北半球」ですね。
穂村氏は「一語の効果というものをこれほど感じさせる歌も少ない。不意に宇宙的な視点を与えられることで、日常と森羅万象が二重写しになって感受されるのだ」と書いています。そして高野作品全般について「現代の歌壇を見渡してみても、秀歌の多さで高野公彦の右に出る者はいない。その作風は柔軟で、詠われている世界が幅広く、かつ奥深い」と高い評価を与えています。
私もそう思いますし、高野作品を愛読しています。
高野氏は昭和十六(一九四一)年生まれで、愛媛県出身の歌人です。近作を、『短歌往来』の五月号から紹介したいと思います。
降圧剤
つめたい水で飲みくだし
今日とは遠い昔の<未来>
降圧剤を飲んでいるところに作者の年齢がうかがえます。印象に残るのは「今日とは遠い昔の<未来>」の言葉です。なるほど言われてみればそうですね。かつて思っていた<未来>と現在とでは、かなり違うでしょうか。
男とはとはに男か
両乳ある女人を思ふとき
ほめくなり
「ほめく」の語は、熱くなる、上気するという意味。この古い言葉が生きて上品なエロティシズムを感じさせる歌になっています。言葉の大切さです。
後編「伊藤先生に教わる、はじめての人の「歌始入門」」はこちら。
伊藤一彦(いとう・かずひこ)先生
1943年、宮崎県生まれ。歌人。読売文学賞選考委員。歌誌『心の花』の選者。