発達障害のぼくがなぜコーヒー焙煎士になったのか/岩野響『15歳のコーヒー屋さん』(1)

発達障害のぼくがなぜコーヒー焙煎士になったのか/岩野響『15歳のコーヒー屋さん』(1) 81G7imh6a7L000.jpg10歳で発達障害のひとつ、アスペルガー症候群と診断された岩野響さん。中学校に通えなくなったのをきっかけに、あえて進学しない道を選んだ15歳の「生きる道探し」とは?
著書『15歳のコーヒー屋さん』を通じて、今話題のコーヒー焙煎士・岩野響さんの言葉に耳を傾けてみましょう。

◇◇◇

はじめまして、岩野響です。
ぼくは2017年4月に「HORIZON LABO」という研究所兼お店をオープンしました。そこで、コーヒー焙煎士をしながら、自ら焙煎したオリジナルのコーヒー豆を通信販売しています。
 
15歳のぼくが、なぜコーヒー焙煎士をやっているかというと、中学1年生で不登校になり、家事や家の仕事を手伝っているうちにコーヒーの世界に魅せられてしまったからです。

ぼくには「アスペルガー症候群」という発達障害があります。
発達障害って知っていますか?最近はテレビや新聞などで取り上げられることも増えたので、知っている人も多いかもしれませんね。

発達障害とは、脳に生まれつき微細な障害があり、体が不自由だったり、知的な遅れがあったりするわけではないものの、コミュニケーションがうまくできない、じっとしていられない、空気を読んで周囲とうまく適応していくことが難しい、などといった特性があると言われています。

見た目になかなかわかりにくいこともあり、「努力不足」「やる気がない」と勘違いされてしまうことも多いです。治療で治る病気と違って障害だから治るものではなく、そこが周囲に理解してもらいにくいところだったりします。

ぼくが「アスペルガー症候群」だと診断されたのは、小学校3年生のときでした。
母によると、ぼくには小さい頃からいろいろ変わったところがあったそうです。
でも、小学校低学年まではふつうのクラスで過ごしていました。
小学校3年生のときのクラスはいつもザワザワうるさくて、ぼくはその場にいられなくなり教室を飛び出してしまうことが増えました。
そこで、病院での診察をすすめられ、知ることになったのですが、当時のぼくには障害があることを知らされていませんでした(実際に知ったのは最近です)。

学校に行けなくなったのは、中学1年の2学期です。そこから、ぼくの生きる道探しが始まりました。
両親に提案され、家事をしたり、父の仕事である染物の仕事を手伝ったりしていました。
時間だけはたくさんあったので、自営業をしている両親の仕事現場についてまわり、いろいろな人に出会いました。
そんな中でコーヒーに出会い、焙煎のおもしろさにのめり込んでいきました。

ぼくは、まだ15年しか生きていないけれど、本書でこんなことをお伝えできればいいな、と思っています。 


撮影/木村直軌

次の記事「「自分は障害者じゃない」と言い続けていた中学時代/岩野響『15歳のコーヒー屋さん』(2)」はこちら。

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岩野 響(いわの・ひびき)

2002年生まれ。群馬県桐生市在住。10歳で発達障害のひとつ、アスペルガー症候群と診断される。中学生で学校に行けなくなったのをきっかけに、あえて高校に進学しない道を選び、料理やコーヒー焙煎、写真など、さまざまな「できること」を追求していく。2017年4月、自宅敷地内に「HORIZON LABO」をオープン。幼い頃から調味料を替えたのがわかるほどの鋭い味覚、嗅覚を生かし、自ら焙煎したコーヒー豆の販売を行ったところ、そのコーヒーの味わいや生き方が全国で話題となる(現在、直販は休止)。公式ホームページはこちら「HORIZON LABO」コーヒー豆の通販はこちらで行っています。

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『15歳のコーヒー屋さん』

(岩野 響/KADOKAWA)

現在、15歳のコーヒー焙煎士として、メディアで注目されている岩野響さん。10歳で発達障害のひとつ、アスペルガー症候群と診断され、中学校に通えなくなったのをきっかけに、あえて進学せずコーヒー焙煎士の道を選びました。ご両親のインタビューとともに、精神科医・星野仁彦先生の解説も掲載。

 
この記事は書籍『15歳のコーヒー屋さん』からの抜粋です

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