寝る前の「30分の儀式」で自分らしさを取り戻す/枡野俊明

寝る前の「30分の儀式」で自分らしさを取り戻す/枡野俊明 pixta_13320870_S.jpg職場、恋愛関係、夫婦関係、家族、友人...。毎日自分以外の誰かに振り回されていませんか?

"世界が尊敬する日本人100人"に選出された禅僧が「禅の庭づくりに人間関係のヒントがある」と説く本書『近すぎず、遠すぎず。他人に振り回されない人付き合いの極意』で、人間関係改善のためのヒントを学びましょう。今回はその第15回目です。

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前の記事「自分自身をよく知ることこそよい人間関係の第一歩/枡野俊明(14)」はこちら。

 

もう一つ、自分を知る手がかりがあります。あなたは公私ともに、いろいろな人と人間関係をもっていると思います。その関係のなかで、「心地よいなぁ」と感じることもあれば、「嫌だなぁ」と感じることもあるはずです。そこにフォーカスするのです。

たとえば、誰かと話していて心地よさを感じたとき、その源を探ってみるのです。心地よさをもたらしてくれたのは、相手のちょっとした言葉かもしれませんし、何気ないふるまいかもしれない。

「彼はいつでもこちらの話を"そうだね"と受けとめてくれる。なんでもないひとことだけれど、自分が受け容れられたようでとてもうれしい」
「いつ会っても、別れ際に彼女は深々とお辞儀をしてくれる。あれがあるから、会うたびに"いい時間が過ごせた"と思えるんだ、きっと」

前者は対応のこまやかさが琴線に触れるということですし、後者は礼儀正しさが胸に響くということでしょう。

もちろん、「いちいち相槌(あいづち)を打たれるのは煩わしい、話は黙って聞いてくれるほうがいい」という人もいるでしょうし、「あまりの礼儀正しさは慇懃(いんぎん)無礼と感じる。別れ際は『じゃあね』とあっさりしているのが気持ちいい」という人もいるはずです。

そう、何を心地よいと感じるかを探ると自分の傾向がわかるのです。「嫌だな」という感じをもったときも同じです。相手の丁寧な言葉遣いを好ましいと思う人もいれば、とってつけたようで感じが悪いと受けとる人もいます。逆に、ぶっきらぼうなふるまいでも、それが嫌だという人ばかりではありません。「スカッとしていて気持ちいい」「裏表がないほうが信頼できる」という人もいるのです。

それも自分の傾向を示しています。さあ、「禅の庭」づくりの手法を駆使して、自分を知ることにつとめましょう。

 
本来の自己に出会う方法

私は禅僧ですから、修行時代ほど厳しいものではありませんが、日々、禅の教えにしたがった暮らしをしています。そのことが「禅の庭」の地心を読む際にも、おおいに役に立っている、と感じています。

禅的な生活によって心が穏やかになりますし、また、感性が研ぎ澄まされてもくるからです。心が騒いでいたり、曇りがかかっていたのでは、敷地に向き合っても、地心を読むことはできないのです。

心を穏やかに、また、研ぎ澄まされた状態にしてくれるのは、何をおいても坐禅です。ご存じのように、坐禅では手を組み、足を組みます。そうすることによって、左右というものがなくなる。

つまり、「こちらは右手(右足)」「こちらは左手(左足)」という区別がなくなるのです。左右を区別するのは「分別」「はからい」ですから、それがなくなるといっていいでしょう。はからいがなくなると心が澄みきってきます。澄みきった心はどこまでも穏やかで、研ぎ澄まされています。

禅ではそれを「本来の自己」といったり、「仏性(ぶつしょう)」といったりしますが、普通にいえば、「心と身体が一体となって大宇宙に溶け込む」という表現になるでしょうか。そこでは時間の経過も意識されませんし、坐禅をしていること自体も忘れている、という感覚になります。「禅の庭」の敷地に身を置くとき、私は心を常にその状態にすることを心がけています。それでこそ、大地と一体になれるのですし、一体であるから大地の心が伝わってくるのです。

自分を知るうえでは、自分をじっと見つめることも大切です。短いスパンでいえば、その日一日、自分はどんな過ごし方をしたか。少しスパンを広げれば、この一週間はどうだったか、この一カ月はどのようなものであったか。長期スパンなら、この一年の自分はどんな姿(生き方)であったか......。

それらを正しく見つめるためになくてはならないのが穏やかな心、研ぎ澄まされた心である、と私は思っています。いまお話ししたように、坐禅をしてそのように心を整えるのがいちばんですが、坐禅の心得がないという人も多いはずです。そこでおすすめしたいのが、寝る前の30分間、静かな時間をもつことです。

キーワードは「心地よさ」です。自分がほんとうに心地よいと感じることをして30分を過ごすのです。静かな曲調の気に入った音楽を聴くのもいいですし、心を落ち着けてくれるアロマを焚(た)くのもいいでしょう。

心が洗われると感じる詩集を繙(ひもと)くのも、清々しい気持ちにさせてくれる画集を眺めるのも、また、いいでしょう。30分間をただ、ただ、「ああ、なんか心地がよいなぁ」と感じきる。そこが大事です。そんな時間は坐禅にも似て、心を穏やかに、研ぎ澄まされた状態にしてくれるはずです。自分を見つめるうえで、それにまさる環境はありません。

そして、30分間の最後の5分(あるいは10分)を、自分を見つめる時間にあてましょう。その日の仕事や人間関係でストレスを感じることがあっても、静かな時間をもつことで、そこから意識は離れます。ストレスを引きずることがないのです。

また、リラックスした状態により、集中力が高まっていますから、短い時間でも自分をしっかり見つめることができます。この就寝前の"30分間の儀式"を習慣にしてみてください。すると、自分を見失ったり、見誤ったりすることが格段に減ります。自分という人間がどんどんあきらかになり、自分らしさを失わないで生きていけるようになる、といってもいいと思います。

自分らしさを失わない。もちろん、それは人間関係を結ぶうえでも、他人に振り回されないためにも、きわめて重要な要件であるのは、いうまでもありませんね。

 

次の記事「自分自身に「自分の拠り所は何ですか?」とたずねてみる/枡野俊明(16)」はこちら。

枡野俊明(ますの・しゅんみょう)

1953年、神奈川県生まれ。曹洞宗徳雄山建功寺住職、多摩美術大学環境デザイン学科教授、庭園デザイナー。大学卒業後、大本山總持寺で修行。禅の思想と日本の伝統文化に根ざした「禅の庭」の創作活動を行い、国内外から高い評価を得る。2006年「ニューズウィーク」誌日本版にて「世界が尊敬する日本人100人」にも選出される。主な著書に『禅シンプル生活のすすめ』、『心配事の9割は起こらない』(ともに三笠書房)、『怒らない 禅の作法』(河出書房)、『スター・ウォーズ禅の教え』(KADOKAWA)などがある

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『近すぎず、遠すぎず。』
(枡野俊明/KADOKAWA)


禅そのものは、目に見えない。その見えないものを形に置き換えたのが禅芸術であり、禅の庭もそのひとつである。同様に人間関係の距離感も目に見えない。だからこそ、禅の庭づくりに人間関係のヒントがある――「世界が尊敬する日本人100人」に選出された禅僧が教える、生きづらい世の中を身軽に泳ぎ抜くシンプル処世術。

 
この記事は『近すぎず、遠すぎず。他人に振り回されない人付き合いの極意』からの抜粋です

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