京都の西芳寺は「脱俗」を体現している/枡野俊明(4)

京都の西芳寺は「脱俗」を体現している/枡野俊明(4) pixta_30671170_S.jpg職場、恋愛関係、夫婦関係、家族、友人...。毎日自分以外の誰かに振り回されていませんか?

"世界が尊敬する日本人100人"に選出された禅僧が「禅の庭づくりに人間関係のヒントがある」と説く本書『近すぎず、遠すぎず。他人に振り回されない人付き合いの極意』で、人間関係改善のためのヒントを学びましょう。今回はその第4回目です。

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前の記事「枯れた木の美しさ、つくろわないことの美しさ/枡野俊明(3)」はこちら。

 

◇見えない部分に秘められた世界

日本の芸術・文化には連綿と受け継がれている伝統があります。それは「幽玄」。
内に深く秘めた余韻という意味です。

たとえば歌舞伎では、見得(みえ)を切った役者が、一瞬、動きをとめることがあります。いわゆる「間(ま)」ですが、そこで観客は、「この間はいったい何を意味しているのだろう?」と想像力を働かせます。これが、「間」が表現する「幽玄」です。「幽玄」とは想像にゆだねられた世界である、といっていいかもしれません。

そして、「禅の庭」で「間」にあたるのが「余白」です

何もない空間。

その「余白」が、じつは「禅の庭」では大切な構成要素なのです。見る人はそこに作者の意図を汲(く)みとろうとします。作者が表現しようとした世界を感じとろうとするのです。「余白」がなくては、「禅の庭」は成り立ちません。「禅の庭」で「幽玄」を表現しているのは「余白」だけではありません。

滝の流れが中心に据えられ、色づいた紅葉の枝が、流れにかすかにかかる。風が立つと、葉が揺れて後ろの景色が見え隠れする......。すべてが見えてしまえば、「ああ、こういう景色か」で終わってしまいます。見え隠れすることで、景色がいく通りにも変容するのです。

それも「幽玄」の世界です。
日本人は古来、「幽玄」を好み、また、楽しんできました。格子やすだれ、障子などは、その世界をつくり出す素材です。格子越しに見る風景に余韻のある趣を感じる。そんな感性が日本人にはあります。

 

◇俗から突き抜けた自由な姿

世の中には、ある一定の枠があります。杓子定規(しゃくしじょうぎ)なしきたりであったり、決まりごとであったり......。そうしたものにこだわらず、枠から自由でいる、というのが「脱俗」です。

七福神の一人に布袋(ほてい)さんがいます。ニコニコとした笑顔で、大きなお腹を出して歩いている姿が、墨絵などに描かれることが多いのですが、この布袋さんの姿こそが「脱俗」といえます。布袋さんは誰にどう見られようと、体裁をまったく気にしません。ただニコニコとして街中を闊歩している。担いでいる"布袋"には、施しを受けたものが詰め込まれているのですが、施しを受けることで卑屈になったり、惨めになったり、悲愴感をあらわしたり、といったところは微塵もありません。堂々たる"施され"ぶりです。

突き抜けているのです。俗(枠)から完全に突き抜け、どこにもとらわれるところがない。まったく自由な姿がそこにあります。これも禅の美です。

「禅の庭」で「脱俗」といえば、真っ先に頭に浮かぶのは、苔寺として有名な京都の西芳寺(さいほうじ)です。朝靄(あさもや)が立ちこめる早朝にそこに立つと、しんとした空気のなかにさまざまな情景が飛び込んできます。しっとりとした苔の緑、樹々の間から幾筋も漏れ出す光、それらが醸し出す凜とした静けさ......。まさしく「脱俗」の世界が広がっています。

『論語』のなかにこんな言葉があります。
「十五で学を志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る。六十にして耳順(したが)い、七十にして心の欲するところに従ってなお、矩(のり)を踰(こ)えず」
 
七〇歳になると、自分の思うがままにふるまっていながら、道理、真理に反することがない、といっています。孔子流の「脱俗」の表現でしょう。

  

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枡野俊明(ますの・しゅんみょう)

1953年、神奈川県生まれ。曹洞宗徳雄山建功寺住職、多摩美術大学環境デザイン学科教授、庭園デザイナー。大学卒業後、大本山總持寺で修行。禅の思想と日本の伝統文化に根ざした「禅の庭」の創作活動を行い、国内外から高い評価を得る。2006年「ニューズウィーク」誌日本版にて「世界が尊敬する日本人100人」にも選出される。主な著書に『禅シンプル生活のすすめ』、『心配事の9割は起こらない』(ともに三笠書房)、『怒らない 禅の作法』(河出書房)、『スター・ウォーズ禅の教え』(KADOKAWA)などがある

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『近すぎず、遠すぎず。』
(枡野俊明/KADOKAWA)


禅そのものは、目に見えない。その見えないものを形に置き換えたのが禅芸術であり、禅の庭もそのひとつである。同様に人間関係の距離感も目に見えない。だからこそ、禅の庭づくりに人間関係のヒントがある――「世界が尊敬する日本人100人」に選出された禅僧が教える、生きづらい世の中を身軽に泳ぎ抜くシンプル処世術。

 
この記事は『近すぎず、遠すぎず。他人に振り回されない人付き合いの極意』からの抜粋です

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