定年を迎える時期、60代はアイデンティティを再確立するとき。その方法を大学教授・齋藤孝さんが解説

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『60代からの知力の保ち方』 (齋藤孝/KADOKAWA)第10回【全10回】

人生100年時代、60代は新たなスタートラインです! そんな大切な時期をいきいきと過ごすための、頭と心のコンディショニング法を紹介しているのが大学教授・齋藤孝さんの著書『60代からの知力の保ち方』(KADOKAWA)。本書は日々のちょっとした習慣を通して、60代からの知力を無理なく、そして楽しく保つ方法を優しく解説します。「まだまだこれから!」という意欲を応援し、後半生をより豊かにするためのヒントが満載です。60代は、これまでの役割が変わり、自分を見つめ直す時期。脳と心と体をバランス良く整え、知的な活力を高めていきませんか?

※本記事は齋藤孝著の書籍「60代からの知力の保ち方」から一部抜粋・編集しました。

六十代はアイデンティティが揺らぐとき

定年を迎える時期は、「アイデンティティ」の再確認をする時期でもあります。

アイデンティティ(存在証明)は、1960年代に、アメリカの発達心理学者エリク・H・エリクソンが提唱した概念です。

「自分は何者であるか」は、その時々の課題を乗り越えながら獲得していくものです。青年期は誰しも思い悩み、アイデンティティを一度喪失する時期、モラトリアム期があり、その時期を乗り越えると、課題に立ち向かう力を得て、仕事を始めたり、家族を持ったりして、人間としての安定に向かいます。

プレ老い世代では、現職から離れることなど再び存在証明の不安から、自分のアイデンティティに思い迷うことになります。

社会的地位がある間は、「こういう者です」と名刺を身分証明書にできますが、拠るべき地位がなくなると、とたんにアイデンティティは揺らぎます。

アイデンティティは、自分の内側にだけある概念ではありません。人間が心理社会的(サイコ=ソーシャル)な存在である以上、社会的関係の中にあるものです。

会社などに所属して社会の交わりの中にいる間は、自分の立ち位置が外から規定されており、アイデンティティの確立に悩むことも少なくなります。

こうしたアイデンティティ・クライシスともいうべき問題に直面した場合、キリスト教国など宗教に拠って立つ国では信仰が危機を支えるでしょう。

ハーバード大学教授、アーサー・C・ブルックスは、アメリカでの調査をもとに「中年の過渡期に入ると、宗教と精神性への関心が予想外に高まる人がたくさんいます」(『人生後半の戦略書』木村千里訳 SBクリエイティブ)と述べています。

日本で精神性の拠りどころとなるものは、先ほどから述べているように、精神文化ということになります。

三十、四十代はむしろ、「個性」の発現のほうに苦慮された方が多いのではないでしょうか。

個性という概念が重視されるようになったのは、比較的最近のことです。

ドイツの詩人で作家でもあるヨハン・ペーター・エッカーマンは、ゲーテを崇拝し、晩年のゲーテと親しく語り合いました。エッカーマンの著作『ゲーテとの対話』(山下肇訳 岩波文庫)の中で、ゲーテは「私は健全なものをクラシック、病的なものをロマンティクと呼びたい」と言っています。

過去の遺産であるはずの文化(クラシック)を無視し、薄っぺらい独創性(ロマンティク、当時主流だったロマン主義)に重きをおくのは近代の病だと、鋭く指摘しているのです。

文化の継承の中で、個は自ずと磨かれていく、個性は結果的に身につくものです。

1985年、日本の教育現場では、個性を尊重し、伸ばすための、個性化教育が始まりました。しかし教育現場にいると、個性化教育を目指してきたこの四十年ほどの間に、人としての個性化がさほど進んでいる実感はありません。

画一的な教育で育ったはずの、私の祖父母たち明治人の方が、個が強かった印象があります。

 
※本記事は齋藤孝著の書籍「60代からの知力の保ち方」から一部抜粋・編集しました。

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