「どうかがんでありませんように」医師に告げられた「がん再発」の可能性/続・僕は、死なない。

「病気の名前は、肺がんです」。医師からの突然の告知。しかも一番深刻なステージ4で、抗がん剤治療をしても1年生存率は約30%だった...。2016年9月、50歳でがんの告知を受けた刀根 健さん。残酷な現実を突きつけられても「絶対に生き残る」と決意し、あらゆる治療法を試して必死で生きようとする姿に...感動と賛否が巻き起こった話題の著書『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)より抜粋。過去の掲載で大きな反響があった連載の続編を、今回特別に再掲載します。

※本記事は刀根 健著の書籍『僕は、死なない。』から一部抜粋・編集しました。
※この記事はセンシティブな内容を含みます。ご了承の上、お読みください。

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ピンチ到来

11月18日、今は4ヶ月に1回になったCT撮影を終え、その2日後、これまた今では2ヶ月に1回になった定期診察を受けに、東大病院へと出かけた。

「体調はいかがですか?」

井上先生はいつもと同じように訪ねたが、僕はその表情にちょっと心配そうな気配を感じた。

実は、少し前から左の座骨が少しジンジンと疼いてた。

僕はそれを伝えた。

「実は左の座骨が少し痛いって言うか、ジンジンするというか、そんな感じなんです」

「いつからですか?」

「1週間ほど前からです。以前も堅いところに座っていたり、同じ姿勢で長時間座っていると痛くなったりしたことがありましたけれど、今回は何もしていなくても少しジンジンするような感じです」

「そうですか...実はですね、今回のCTで少し疑わしいところが見つかりました」

井上先生はそう言うと、CT画像をスクロールして僕の座骨のあたりを映しだした。

「通常、刀根さんが飲んでいらっしゃるアレセンサが効果を出していると、一度溶けた部分の骨が再生しますので、その再生した部分が白く写ります。ほら、こんな感じです」

井上先生がボールペンで指し示したところは、僕の骨の中に真っ白な部分がバッチリと写っていた。

「しかし、ここです」

次に井上先生の指した部分は、白い部分が少し薄く、灰色が混じっていた。

「念のため、前回、4ヶ月前の画像と比べてみましょう」

PC画面に今回の画像と4ヶ月前の画像が並んだ。

今回の画像は、明らかに白い部分が薄くなり、灰色に変わっていた。

「今回、腫瘍マーカーの数値も基準値以内なのですが、前回と比較して1.0上がっています」

そうだった。

前回は2.0、今回は3.0。

「そして、がんの骨転移の基準として使っているAKPの値が基準値をオーバーしています。前回は267と基準値内だったのですが、今回は急に100以上上がって基準値の322を越え、429となっています」

「...これは、どういうふうに考えたらいいんでしょう?」

さすがに僕も不安になった。

「もしかすると...骨の部分、特にこの座骨の部分だけがん細胞が変異を起こして再発したのかもしれません」

「そういうことって、あるのですか」

「はい、肺や内臓はそのまま変異をせずに薬で抑えることが出来ていますが、一部、遺伝子が変化することもあります。それが左の座骨に出ているのかもしれません」

「う~む」

僕はうなるしかなかった。

「これが本当にそうなのか、それとも違う原因なのか、それをはっきりさせるために脳のMRIとペット検査を追加したいと思うのですが、よろしいでしょうか?」

「あ、はい、もちろんです」

脳のMRIは11月28日、ペット検査は29日になった。

「では、次回は12月5日にその結果を見てから、今後のことを検討しましょう」

「今後のこととは?」

「ええ、お薬を変えるとか、あるいは骨の部分に放射線を当てるとか、そういうことです」

「分かりました」

「大丈夫です、刀根さん、もし再発していたとしても、アレセンサの次の薬も出ていますから」

井上先生は僕を安心させるように、優しく笑った。

「ありがとうございます」

僕は東大病院を出ると、ちょっと左の座骨に意識を向けてみた。

ジンジンする...

確かにちょっと痛い...。

でも、がんに侵されていたときと、なんかちょっと違う感じもした。

しかし...今、再発か...もうすぐ本が出版だというのに...。

本が出たとき著者が再発していたら、ちょっとかっこ悪いな...

僕の"自我/エゴ"が少し騒いでいた。

僕は検査でひっかかったことを一応、吉尾さんに報告をしておいた。

「ま、でも、今くよくよしてもしょうがない。先のことは分からない。未来のことを、今、心配しても意味がない。再発したら、そのときに悩もう」

帰宅するとさっそく妻に報告をした。

「もしかすると、座骨に再発したかもって言われたよ」

妻は心配そうに眉をひそめると「舟橋さんに連絡してみたら?」と言った。

そうだ、舟橋さんに診てもらおう。

僕はその晩、さっそく舟橋さんに連絡を入れた。

一度会っていればビデオ通話で診断や治療が出来るという。

それは量子力学的には納得できる説明だった。

「ああ~...、ちょっといくつかがんの素みたいなものがありますね」

「がんの素、ですか?」

「ええ、私の診断では20段階で出るんですけれど、10を越えるとCTやペット検査で見つかる位の大きさ、つまりステージ1とか1未満、みたいな感じです。で、10以下だとそういう検査では見つからないけれど、細胞レベルでがんがあります、というような感じです」

「僕はどうだったんですか?」

「肺に5未満のものが2つほどありますね。それから左の座骨が13って出ています」

「やっぱり、出ていますかね」

「ええ、でもまあ、私の診断はCTとかレントゲンとかそういう目で見えるものではないので、何のエビデンス(証拠)もないんですけど、一応、そう出ていますね」

「治せますか?」

「ちょっと待ってくださいね」

舟橋さんは目をつぶって何やらブツブツとつぶやくと、目を開けていった。

「3回くらい、かかるそうです」

「3回で、治るんですか」

「ええ、そう出ています」

舟橋さんは笑って言った。

おお、良かった...。

「それじゃ、お願いできますか?」

「はい、分かりました」

それから3回の舟橋さんの治療を終えたころ、ちょうどCTとペット検査の日程になった。

11月28日のペット検査が終わってから、12月5日までの約1週間、僕は自分の心を見つめてみた。

前回体調が悪くなった2018年の7月の体験が、僕を成長させていた。

不安に心を大きく振り回されなくなっていた。

具体的にはこうだ。

12月5日に全てが分かる。

それまで、なにをどうあがいても、結果は分からない。

僕が不安や恐れにどっぷりと浸りきり、心の中に嵐が吹き荒れようと、平和な浜辺でリラックスしていようと、12月5日までは何もやりようがない。

逆に自分が出来ること、それは"いい気分でいる"それだけ。

僕は"いい気分"が"よい結果"を連れてくる、ということをがんからの生還で体験した。

自分が放つ周波数が、それに見合った結果を連れてくる。

よし、もう一度、現実を引き寄せよう。

とにかく、不安や恐れに巻き込まれずに、自分を明け渡し、いい気分でいよう。

そうやって僕は毎日リラックスして、いい気分で過ごした。

頭の中に"再発"という言葉や映像が現れたら、それは僕の"思考"が作り出した"幻想"だと見抜き、それを手放していく。

そう、"思考"はネガティブで、そしてそれは"本当"じゃない。

それは"幻想"であり"フィクション"だ。

この"思考"という"幻想""フィクション"につかまってはいけない。

それはまるで現実のように僕を飲み込む。

飲み込まれた僕の"身体"は、それがまるで『今そこで』起こっているように反応する。

すると、それが現実の体験となって、僕をさらに縛り付ける。

全ては"思考"という"幻想"に飲み込まれてしまうことから始まる。

だから、"思考"を手放す。

"思考"を採用しない。

つまり、『考えない』ってこと。

そうだ、何も考えない「アホウ」になろう。

「アホウ」は悩まない。

「アホウ」は心配しない。

「アホウ」は気楽だ。

だって考えていないんだから。

そもそも僕は「アホウ」なんだし。

僕は次の診察まで、「アホウ」に徹することにした。

すると不思議だ。

ほとんどネガティブに取り込まれることはなかった。

やっぱり、「アホウ」は最高で、最強だ。

そして、12月5日になった。

僕もさすがに、その日は「アホウ」になれなかった。

病院にはまた妻にも一緒に来てもらった。

二人で待つ診察室の前の長椅子で心臓がドキドキと高鳴った。

僕は何にともなく、祈った。

「お願いします。お願いします。どうかがんでありませんように」

そして井上先生の言葉をイメージした。

「大丈夫でした。勘違いのようです」

それを何度も何度も繰り返す。

「お願いします。お願いします。どうかがんでありませんように」

「大丈夫でした。勘違いのようです」

「お願いします。お願いします。どうかがんでありませんように」

「大丈夫でした。勘違いのようです」

「お願いします。お願いします。どうかがんでありませんように」

「大丈夫でした。勘違いのようです」

10分ほどそうしていただろうか、ふと、僕の言葉が変わった。

「ありがとうございます。がんではありません」

「ありがとうございます。がんではありません」

「ありがとうございます。がんではありません」

「ありがとうございます。がんではありません」

そしてそれがしばらく続いたら、また言葉がふと、変わった。

「ありがとうございました。がんは再発していませんでした」

「ありがとうございました。がんは再発していませんでした」

「ありがとうございました。がんは再発していませんでした」

「ありがとうございます」が「ありがとうございました」になった。

「がんではありません」が「がんは再発していませんでした」になった。

ふたつとも、過去形になった。

この瞬間、僕は確信した。

「ああ、もう大丈夫だ。過去形になった。結果が引き寄せられた」

そしてすぐに、放送が鳴った。

「刀根健さん、診察室にお入りください」

僕は妻に言った。

「多分、大丈夫だと思うよ」

二人で診察室に入ると、井上先生が不思議そうな顔をして待っていた。

「どうでしたか?検査の結果は?」

「う~ん、それが、よく分からないんです」

「よく分からない、と、言いますと?」

「私たちの今までの知見では、今回の刀根さんのケースは、ほぼ間違いなく骨の部分の再発と考えられていました。そのエビデンス得るためにMRIやペット検査を追加したのですが...」

「はい」

「MRIでもペット検査でも、がんは見つからなかったんです」

「え?そうなんですか?」

「はい、ペット検査では、通常がんが活動しているところが光ります。でも、刀根さんの画像ではどこも光っていないんですよ。疑わしかった座骨の部分も含めて」

「そうなんですね~」

「はい、不思議なことあるものです。それで、整形外科やこういったことに詳しい先生方と打ち合わせを何度も重ねた結果、おそらく、リモデリング化と言いまして、薬の効果を越えて、骨が自己再生しているのだろう、という結果になりました。初めてのケースです」

「おお、とにかく、大丈夫だったんですね」

「はい、今のところ、がんは再発していない、との結論になりました。私としてはちょっと納得していない部分もあるのですが。CEAやALPの数値も上がっていたこともありましたのでね」

僕は言った。

「まあ、でも、良かったです。ほっとしました」

妻も横で胸をなで下ろしていた。

「まあこれで安心しないで、注意深く経過を見ていくことにしましょう」

「はい、もちろんです」

 

刀根 健(とね・たけし)

1966年、千葉県出身。東京電機大学理工学部卒業後、大手商社を経て、教育系企業に。2016年9月1日に肺がん(ステージ4)が発覚。翌年6月に新たに脳転移が見つかるなど絶望的な状況の中で、ある神秘的な体験し、1カ月の入院を経て奇跡的に回復。ほかの著書に、人生に迷うすべての現代人におくる人生寓話『さとりをひらいた犬 ほんとうの自分に出会う物語』がある。オンラインサロン「みんな、死なない。」および刀根健公式ブログ「Being Sea」を展開中。

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