「病気の名前は、肺がんです」。医師からの突然の告知。しかも一番深刻なステージ4で、抗がん剤治療をしても1年生存率は約30%だった...。2016年9月、50歳でがんの告知を受けた刀根 健さん。残酷な現実を突きつけられても「絶対に生き残る」と決意し、あらゆる治療法を試して必死で生きようとする姿に...感動と賛否が巻き起こった話題の著書『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)より抜粋。過去の掲載で大きな反響があった連載の続編を、今回特別に再掲載します。
※本記事は刀根 健著の書籍『僕は、死なない。』から一部抜粋・編集しました。
※この記事はセンシティブな内容を含みます。ご了承の上、お読みください。
寛解
4月25日、東大病院へ行った。
3日前の22日に3ヶ月ごとのCTを撮影したので、その結果を聞くためだった。
その頃ころ僕は、骨転移を改善するカルシウムの注射"ランマーク"を止めて5ヶ月が経っていた。
僕はなるべく身体に薬剤を入れたくなかったので、井上先生と骨を専門に見ていただいている整形外科の先生に「ランマーク、止めていいですか?」とお願いをしていた。
そういう経緯で、ランマークを止めてから、5ヶ月が経っていた。
いつもと同じように井上先生が聞いた。
「体調はいかがですか」
「はい、元気です。全く問題ありません」
「おお、そうですか、良かったです。CTも全く変わらず、きれいなまんまです」
「この筋は消えないですね」
僕は原発のがんがあったところに薄く残っている白い筋を指した。
「ええ、これはがんの跡、かさぶたみたいな感じでしょうね。そういうものもCTでは写るんですよ」
「じゃあ、今、僕の身体にはがんはない、と考えてもよいのでしょうか?」
「はい、細胞レベルの小さなものは分かりませんが、CT上ではがんは見当たりませんね」
「それじゃ、寛解、と言ってもいいでしょうか?」
「はい、そうですね。寛解に近いレベル、いや寛解と言っても差し支えないでしょう」
やった!
ついにドクターから「寛解」の言葉が出た!
僕はついに"病院"から、「寛解」をもらった。
「では、アレセンサを止めても大丈夫ですかね?」
井上先生が笑いながら言った。
「いえいえ、そういうわけにはいきませんね。今はアレセンサでこの状態を維持している状態と言えますので」
「では、アレセンサの量を減らすことは出来ますか? 例えば、半分にするとか?」
「いえ、それもやらない方がいいでしょう。動物を使った薬の治験で、がん細胞が再活動する条件の一つに薬剤の分量を減らす、というものがあります。全てではありませんがそういう結果もありますので、それも危険だと思います。私としては認めることは出来ません」
「分かりました」
井上先生の話は、いつもながら明快で分かりやすかった。
僕は井上先生の言葉に素直に従った。
これも、サレンダーなのだ。
以前、殺傷系の抗がん剤に対して感じた直感的な"やりたくない"という気持ちとは違って、「止めることで」抗がん剤を飲んでいなくても寛解状態を維持している"僕"、西洋医療に頼らなくても元気でいる"僕"、そういう"僕"ってすごいでしょ、とアピールしたい気持ち。
それは"自我/エゴ"以外の何物でもない。
だから、それには従わない。
そのころ、そうやって自己をアピールしたがる"僕"の声は、とても小さくなっていた。
「先生、実は今、がんからの生還体験の本を書いていまして...」
「おお、それはすごいですね」
「井上先生のことも出てくるのですが、いいですか」
「あ、はい、まあ」
めずらしく井上先生が戸惑った。
「大丈夫です。仮名にしておきますから」
「あ、すみません、よろしくです」
こうしてついに、僕は「寛解」した。
全てのがん患者が目指すところ、それは「寛解」。
いろいろなことがあったし、いろいろな道を通った。
しかし、こうしてドクターから「寛解」の言葉をもらうことが出来た。
あとはこのまま、この状態を維持していけばいいんだ。
「アレセンサの次の薬ももう出来ていますから、もし万一再発しても、とりあえず安心ですね」
「そうなんですか、すごいですね」
父の言うように、西洋医学の進歩、発達はすごい。
でも...。
「先生、でも僕は再発はしませんよ」
「と、言いますと?」
井上先生が不思議そうに僕を見た。
「僕はこのアレセンサの最長不倒記録を作るつもりです」
「...」
「この薬の服用を止めることが出来ないのであれば、再発せずにずっとこのまま、あと30年くらいは飲み続けますよ。そして死ぬときはがん以外の死因で死にます」
井上先生はそれに応えずに、笑った。
病院を出ると、春の風が僕を祝福しているように、爽やかに頬を撫でていった。
同じ頃、ついに本が書き上がった。
題名は、どうしよう?
いい案が浮かばなかった。
近所のコメダ珈琲で吉尾さんと打ち合わせたとき、吉尾さんは言った。
「『僕は、死なない』というのはどうですか?」
「えっ?『僕は、死なない』ですか?いや、でも僕はいずれ死ぬんですけれど...」
「刀根さんの原稿を読ませていただいていて、特に刀根さんがサレンダーして、僕は治る、と確信するシーン、そこから『僕は、死なない』っていう題名が湧いてきたんです」
「おお、そうだったんですね。確かにあのとき、"僕は治る""僕は死なない"って自然に思いましたし、確信しました」
「いかがでしょう?」
「ええ、いいですね。僕では決して思いつかない題名です。さすがです」
「題名的にもインパクトがあっていいと思います」
「では、それで行きましょう!」
「はい、よろしくお願いいたしします」
僕は頭を下げた。
「それで、以前いただいた、刀根さんが昔書かれた原稿なんですが...」
「はい...」
「全部ではないのですが、いくつかを読ませていただいて、これもとても素晴らしい、面白いと思いました。こちらもぜひ、今後出版を目指してご相談できれば、と考えていますが、いかがでしょうか?」
「いえいえ、とても光栄です。がんからの体験も書き直したら全く違う完成度、クオリティになったように、今あの原稿を書き直すと、もっともっと深い内容になるような気がします。ぜひ、よろしくお願い致します」
「こちらこそ、よろしくお願い致します。私は魂を揺さぶるようなエンターテイメントを出版したかったんです。そういう意味で、私は刀根さんに出会えてラッキーです」
「僕もです。お互いにラッキーですね!」
こうして僕の本の題名が決まった。
『僕は、死なない。』副題として『全身末期がんから生還してわかった人生に奇跡を起こすサレンダーの法則』となった。