「病気の名前は、肺がんです」。医師からの突然の告知。しかも一番深刻なステージ4で、抗がん剤治療をしても1年生存率は約30%だった...。2016年9月、50歳でがんの告知を受けた刀根 健さん。残酷な現実を突きつけられても「絶対に生き残る」と決意し、あらゆる治療法を試して必死で生きようとする姿に...感動と賛否が巻き起こった話題の著書『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)より抜粋。過去の掲載で大きな反響があった連載の続編を、今回特別に再掲載します。
※本記事は刀根 健著の書籍『僕は、死なない。』から一部抜粋・編集しました。
※この記事はセンシティブな内容を含みます。ご了承の上、お読みください。
引退
8月が終っても、暑い日が続いていたある日のことだった。
久しぶりにボクシングジムへ顔を出した僕に、真部会長が言った。
「長嶺、また目をやっちゃったみたいです」
「また、ですか?」
そう、長嶺選手は過去に2回、網膜剥離をやっていて、今度やったら「引退」と日本ボクシング・コミッションから言われていた。
「ええ、今回は網膜剥離じゃないみたいなんですけど...」
長嶺選手は昨年の最強挑戦者決定戦を制した後、この3月に日本タイトルに挑戦した。
試合は一進一退の展開だったが、終盤長嶺選手の左フックがチャンピオンの顔面を捉え、起死回生のダウンを奪った。
しかし、チャンピオンがすごかったのはここからだった。
鬼の形相で長嶺選手に迫り、圧倒的な手数でダウンを奪われた以降のラウンドを全て制した。
その反撃もあり、ギリギリの差で長嶺選手は惜しくも敗れ去った。
長嶺選手に勝った日本チャンピオンは、次の試合で世界タイトルに挑戦し、敗れはしたものの、KO率の高い世界王者に、最後まで善戦をした。
長嶺選手はその後、外国人選手を圧倒して再起し、次の試合に向けて練習をしているときの事故だった。
「舟橋さんなら、なんとかなるかも...」
僕は淡い期待を抱いた。
「長嶺と一緒に、征矢にも来てもらおう」
僕はさっそく舟橋さんに連絡を入れてスケジュールを確認すると、10月3日に出張があり、その翌日なら時間がとれそう、とのことだった。
すぐに長嶺選手と征矢選手に連絡を入れたところ、二人とも来ることになった。
僕は友人の社労士である中江さんに会議室を抑えてもらった。
こうして、10月4日に舟橋さんと僕、長嶺選手と征矢選手がそろった。
「長嶺、大変だったな」
長嶺選手は、思ったほど落ち込んでいる感じではなかった。
「東洋タイトル挑戦の話があって、サウスポーと練習してたんです。スパーの時、ちょっとパンチが目に入っちゃって」
「どんな感じなの?」
「網膜剥離のときは、視界の半分くらいが黒い点々が出て、飛蚊症(ひぶんしょう)がすごい感じだったんですけど、今回はまぶしいです」
「まぶしいって?」
「レンズが水晶体からずれてるので、そこから光が入ってきて、すごくまぶしいんですよ」
「今も?」
「はい、今もすっごくまぶしいです」
「そっか、それは大変だね。今日は僕の知ってる不思議な治療をする人に来てもらってるから、もしかしたら良くなるかもしれないよ」
「はい、そうなったらいいです。ま、でもダメでもしょうがないっす」
長嶺選手はこの状態で再起するのはほとんど無理だと悟っているのか、サバサバした感じだった。
クレバーな彼のこと、もしかすると、もうアフターボクシングのことを考えているのかもしれなかった。
征矢選手は明らかに体調が悪そうだった。
顔はどす黒い感じで、身体も前に会ったときよりもさらに小さくなっているように感じた。
座っているだけで辛そうだった。
「征矢、また痩せた?」
「ええ、最近、食べられなくて」
「そっか、それは辛いね」
「ええ、まあ」
舟橋さんは簡単に挨拶をすると、二人の症状を聞いた。
長嶺選手は目の中のガラス体についているレンズを押さえる腱が切れてしまって、レンズがずれている状態とのことだった。
「う~ん、僕のやつ、目はあまり効かないんですよね~。とりあえず、やるだけやってみます」
舟橋さんはそう言うと、横になった長嶺選手に術式を入れ始めた。
「どう?」
終わった後、僕は長嶺選手に聞いてみた。
「あまり、変わらないっす」
「そっか...残念」
次は征矢選手だった。
舟橋さんは診断したあと、こう言った。
「病気の原因は、メンタルですね」
「何かメンタルを落とす大きな出来事、ありましたか?」
「ええ、嫁が白血病で亡くなりまして...」
「そうだったんですね...それは辛かったでしょう」
「ええ、はい」
「でも、身体は良くなると思います。メンタルも戻しておきましょう。これから、身体の中の病気を消すプログラムを入れます」
それがどういうプログラムで、どうやって入れるのかは皆目見当がつかなかったけれど、そういうことなんだ、と僕はひとりで納得をした。
うつ伏せになった征矢選手の仙骨のあたりに、舟橋さんが手を当てる。
しばらくして、施術が終わった。
「どう?」
同じように征矢選手にも聞いてみた。
「なんだか、身体が温かいです」
征矢選手の顔色が明らかに良くなっていた。
「身体が、軽くなった気がします。身体を動かしたくなりました。今日、練習行けそうです」
プロのアスリートは身体の感覚が鋭い。
微妙な違いも認識できる感覚を持っている。
一流になれば、それはなおさらだ。
征矢選手はその微妙な違いを感じ取ったらしい。
「ありがとうございました」
治療を終え、舟橋さんと分かれた。
彼はこれから新幹線に乗って三重に帰って行く。
わざわざ僕たちのために時間を取ってくれた。
本当にありがたい。
このあと征矢選手は、時々舟橋さんに診てもらいながらも、自分の身体に合う漢方のクリニックを見つけたこともあり、難病であるクローン病を見事に克服することになる。
そして長嶺選手は惜しまれながらもボクシング界から引退した。
最終のランキングは日本2位だった。