自分で食べることが難しくなってきた義母。この頃が「最後の幸せな時」だったのかも/山田あしゅら

こんにちは山田あしゅらです。

義両親の在宅介護の様子を嫁の目線で綴ったブログ『13番さんのあな―介護家庭の日常―(現・13番さんのつぼ)』。

ここに書いてきた13年間の記録をもとに今の気持ちを織り交ぜつつ、改めて当時のことを振り返ってみようと思います。

【前回】義父のショートステイ利用を決意。「担当者会議」の開催で、多くの人の支えを実感 

ショートステイは義父と同じく義母も利用する予定です。

以前、ショートを利用した際は

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帰宅後の状態悪化が顕著だったため、それ以降は利用を止めていました。

あれから3年。認知症も進み

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介助の度合いこそ増えたものの

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以前のような『わだかまり』はほとんど鳴りを潜め、感情の起伏もあまり感じられなくなりました。

もしかしたら、今回のショート利用は精神的な影響が少ないのではないか?

私たちはそんな風に思っていたのです。

唯一、義母の表情が生き生きするのは何か物を食べる時です。

ところが少し前から様子が変わってきていました。

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 口にうまく食べ物を運ぶことが出来なくなったこともそうですが

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ひとたび食べ始めると、『カミカミごっくん』の連携が上手く出来ず、口いっぱいに食べ物が入っていてもさらにモノを詰め込もうとしてしまうのです。

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窒息しては大変と、目が離せなくなり、最近では食事介助も常時必要となってきました。

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子育てとは真逆の方向に進む義母の介護。

後で思えば自分の口でものを食べられていたこの頃が、義母にとって最後の幸せな時だったのではないかと思います。

たとえそれが

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ほんの一瞬の喜びだとしても、義母にとってどんなに大切なことだったのか、実はここから3年も経たないうちに私たちは思い知ることになります。

つい、何もかも分からなくなった、出来なくなったと思いがちな私たちですが

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案外一番それを心得ていたのは義母自身だったのかも知れません。

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
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山田あしゅら

60代主婦。3人の息子は巣立ち、孫が2人いるおばあちゃん。 義父・太郎を平成31年4月(享年90歳)、義母・はな子を令和2年11月(享年95歳)をそれぞれ見送り、現在は夫と二人暮らしをしている。13年間にわたり義父母の介護の奮闘を綴ったAmebaブログ 「13番さんのあなー介護家庭の日常(現・13番さんのつぼ)」をもとに 平成29年7月『毒舌嫁の在宅介護は今日も事件です!』を出版。

※毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

山田あしゅらさんのブログ:13番さんのつぼ

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