<この体験記を書いた人>
ペンネーム:ルーナ
性別:女性
年齢:52
プロフィール:感謝、思いやりを忘れずに、毎日笑顔で過ごしたいと思っています。
20年以上前、当時私26歳、夫29歳、4年間の交際を経て結婚しました。
夫はその時すでにバツイチでした。
前妻との離婚の理由については聞いていませんでしたが、今思えば...と感じます。
結婚前から夫は義母と2人で暮らしていました。
お付き合いをしている頃から、よく夫の自宅に遊びに行っていた私は、義母(当時50代)にもちょくちょく会っていました。
義母はとても気さくで明るくて、優しい人でした。
遊びに行くと必ず「ご飯食べていってね!」とご飯を作ってくれました。
そんなこともあって「結婚した後は実家に入ってほしい」と言う夫の言葉に、悩むこともなく承諾しました。
義母は「本当の娘だと思っているのよ!」「仲良くやっていきましょうね!」と、とても喜んでくれていました。
夫は結婚する前から「子どもが大好きだから欲しいね」と言っていました。
私も子どもが欲しかったので「結婚したらすぐ作ろっ!」などと話していました。
結婚後も「赤ちゃんの名前何にしようか?」などと言い合う、とても幸せな新婚生活を送っていました。
義母も相変わらず優しくて「娘ができてうれしいわ」といつも言ってくれていて、素敵な家にお嫁に来て良かったなぁと思っていました。
そんな平和な日々から半年がたった頃、私の妊娠が分かりました。
夫に電話して「赤ちゃんできたよ」と言ったら、電話の向こうで大絶叫。
義母にも報告すると、これまた大興奮。
こんなにも喜ばれて私は幸せ者です。
でも、そのときが幸せの絶頂でした...。
1カ月後、病院に行った私は頭が真っ白に...。
「残念ですが、心音が聞こえません」
心音が聞こえない? 私にはお医者さんの言葉が理解できませんでした。
看護師さんが何か言っていましたが、全く耳に入ってきません。
何を話して、何を聞いたのかも覚えていません。
ただ、放心状態で会計を済ませたのを覚えています。
そして、泣きながら夫に電話をしました。
無言が数秒続き、そのあと暗い声で夫は言いました。
「分かった...おふくろに言っておく」
えっ? お義母さん? どうして? そんな言葉も出ないほどの悲しみでした。
帰宅した私は誰にも会わず、布団から出ることもありませんでした。
翌日の朝、義母は私の顔を見るなり言いました。
「子ども欲しくないの?」
今までに見たこともない冷たい顔でした。
私が悪いの? 欲しいに決まってるでしょ!! 同じ女として、流産した悲しみ分からないの!?
言葉にならない私は、いろいろな感情でが吹き出し泣き崩れました。
そして義母は、泣き崩れる私に一言言ったのです。
「また作ればいいでしょ。早くね」
鬼だ...鬼の所に嫁いだんだ。
そう思いました。
それ以来、あの優しい義母は鬼と化しました。
毎日毎日「子どもはまだ?」と聞かれ、日に日に暴言が増えていきました。
食事中も「まったく子どもも産まないのに、よく食べること」とか、何かにつけて「あんたがそんなんだから、子どももできなかったんだろ」などと言われ続けました。
義母の留守中、義母宛に電話があり、私が相手の名前を聞き忘れると怒鳴りつけてきました。
「留守番もろくにできねーんかっ! このクソガキ!」
クソガキって...言葉もでませんでした。
義母の変貌ぶりに恐怖を覚えました。
そんなことが続いたある日、夫の浮気が発覚しました。
義母がショックを受けた私に言った言葉は「あんたちゃんとさせてるの?」でした。
は? 一瞬、自分の耳を疑いました。
私の中で、張りつめていた糸がプツンと切れた音がしました。
こんな地獄で我慢する必要はない。
そう自分に言い聞かせ、逃げるように家を出て、その後、離婚しました。
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