これは今から約10年程前、脱サラして居酒屋を始めた大将とその妻である女将に起こった出来事です。
現在の私は離婚して一人暮らし。近くに住む孫たちと楽しい日々を過ごしております。
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【最初から読む】夫のリストラから夫婦で居酒屋経営へ。順風満帆だった我が家に忍び寄る影/オキガネ
私って自分自身が親に愛されなかった分、子どもを過剰に愛しすぎる部分があると自覚しているし子どもたちにも指摘されます。
特に長男には甘いと。
もういい歳した大人なんですけどね、私の子どもたち(笑)。
長女が結婚をしたのは結構な適齢期を過ぎてからのことでした。
私と私の姉がかなり若い年齢で結婚をしたのに比べると、長女は遅い方です。
実は姉の長女(姪っ子)も結婚は遅めでした。
それだけ私の家庭も姉の家庭も楽しいから出ていかないんだ~と自分なりに良い方へ解釈して、結婚適齢期のことも気にせずのんびりと暮らしていました。
しかし、旦那の不倫がきっかけで仲の良かった家族はバラバラになってしまいました。
長女は結婚したし、次女は先に東京に行った長男を頼って上京しました(次女は最近結婚しました)。
良いように考えれば、旦那が不倫したことによって娘たちが結婚を考えるきっかけにはなったのかなと思います。
そして現在は長女も母親になり、子育てをしているところを見ていると私が思っていたよりもはるかに良いお母さんをしています。
いつも自分より子どもたちのことを考えているのが見ていてわかります。
長女と孫たちを見ていると、まだ若かった私が無我夢中で子育てしていた頃を思い出しました。
私は車の運転が出来ないから、どこかに行く時は電車に乗って3人連れて出かけたりしていました。
旦那は平日はもちろん土曜日も仕事だったし、私の母親は近くに住んでいるにもかかわらず、自分から孫を見に来たり世話をしてくれたりする人じゃなかったし。
まだ知り合いも少なかったし、ママ友の作り方も良くわからなかったし。
子どもだけが話し相手、遊び相手でした。
それでも当時サラリーマンだった旦那は積極的に子育てに協力してくれました。
日曜日にはいつも買い物や公園等どこかしら連れて行ってくれたものです。
そう...そんな感じであの頃は旦那にとても感謝していたのだけれど。
その当時のことをよくよく思い出してみると、平日は残業だと言ってほぼ最終電車で帰って来ていたので、家に着く頃には深夜なんてことはザラにありました。
平日に家族揃って夕飯を食べたことはほとんどありませんでした。
だけどサラリーマンなんてどこの家庭でもそんなものだろうと思っていました。
あの頃は、毎日家族の為にご苦労様...なんて思っていた私ってなんてピュアだったのかしら?(笑)
実は案外その頃から旦那は浮気してたのかも知れませんねえ。
もし本当に仕事だったのなら月曜日から土曜日まで仕事が深夜までなんて会社ブラック過ぎるもの。
その数十年後にはW不倫なんてとんでもないことをやっているのだから、過去も疑われて当然と言えば当然ですよね(笑)。
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