夫の連れ子&台湾人の義母と同居。義父の一言で気づいたこと

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ペンネーム:こみく
性別:女
年齢:27
プロフィール:夫の連れ子である小学生2人と幼児1人、男の子3人のママです。義父母と同居し始めて5年目ですがまだまだ慣れないことばかりです。

※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

◇◇◇

私は23歳のとき、バツイチで子どもを2人抱えた夫と結婚しました。夫の母は台湾人です。義母は結婚を機に日本の永住権を取得し、夫を育て、また孫である子どもたちを育ててきました。私には想像もできないような苦労もたくさんしてきたと、周囲から話も聞きました。

義母は生活習慣だけは日本に染まらず、家庭料理も年中行事も台湾を中心に考えています。そんな義母と、私の妊娠を機に同居することになりました。

初めのうちは、お互いの生活リズムを探りながら遠慮しつつ生活していましたが、日本と台湾の文化の違いなど、だんだんと義母と価値観のズレからぶつかるようになりました。例えば食事。子どもたちは義母との生活が長かったため、家での食事は台湾料理で全く問題ありません。ただ、私はタイミング悪く"つわり"。人生初の本格台湾料理は、とてもじゃないけど食べられませんでした。義母の冷たい視線に耐えながら、また申し訳ない気持ちも持ちつつ、自分で別メニューをつくっていました。

子どもが生まれてからは、さらに義母との溝は深まりました。子どもの名前の候補を相談した時は「台湾では、子どもの名前に親の名前の字は使うなんてありえない」と言われ、「神社で神様から漢字をもらおう」と強引に決められました。

また「台湾の出産祝いは純金のアクセサリーと決まっている」と言いながら、何万円もする純金のブレスレットとネックレスを台湾から取り寄せ、生まれて間もない子どもにつけて、お披露目したり写真を撮ったりしていました。いくら治安が良い地域でも赤ちゃんにお金になるようなものをつけて出かけることは怖くてとてもできず、結局ずっと箱にしまっています。

そのほかにも、私にとっては初めてで楽しみにしていた色々なことが義母によって阻止されたり、なじみのない台湾の行事をやったり。

私の想像していた初めての子育てとは違うものの、今まで子どもたち2人を育ててくれた義母を邪険にすることもできませんでした。

 

義母との関係にも悩んでいたある日、義父が髄膜炎で倒れてしまい、手術をすることになりました。義父の手術は成功しましたが、運転は禁止など生活に制限がかかり、仕事は辞めることになりました。義母と子育ての考え方に違いがあるだけでなく、義父とも1日住同じ家で過ごすことになり、問題は山のようでした。

義父が退院し落ち着いた頃、将来の話をすることになりました。まだまだ手のかかる子どもが3人いる中で、義父母の将来までしっかり看る自信が私には全くありませんでした。しかし、義父母はこれから老いる一方。2人で生活させることもできないと考えていました。それは夫も同じ考えでした。

ただ、それからの日々は、私が想像していた毎日とは少し違いました。義父が日中、家で生活をするようになってから、義母はあまり私に対して口を出すことはなくなったのです。のちに聞いた話では、義父が私の考えを尊重するようにと言ってくれていたそうでした。

私は義父に言われました。「お母さんは、故郷を離れてなにもわからない日本にいることを選んでくれた。少しでも台湾のことを家族に知ってもらいたくて必死なんだ」と。私は、自分自身の考え方との違いに戸惑ってばかりでしたが、結婚して相手の家族になるということは、その家庭の考え方を理解して譲り合わなければいけないと改めて学びました。

ある日、義母は「私は最期は夫と一緒に2人で静かに過ごしたい」と話してくれました。それは、全部を背負いきれない私のことを考え、出た言葉なのかもしれません。

そのときはじめて、義母は自分勝手に押し付けていたわけではなく、今まで義母が経験してきた子育てを教えてくれようとしていたのだと理解することができました。

これからも、少しずつ家族になっていければいいな、と今は思っています。

関連記事:夫、義母...。家族のもつ世界をリスペクトする/君島十和子「私が決めてきたこと」(14)

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