<この体験記を書いた人>
ペンネーム:みけ
性別:女性
年齢:52
プロフィール:両親と同じ敷地内に住んでいる52歳の自営業。
2020年のことです。
私は家業を継いで建設業をしています。
3年前、私と同じ年の従業員が退職しました。
20年近く働いたベテランの彼が突然辞めたせいで、仕事のキャンセルも出してしまい、お詫びに歩いたり、中途半端な仕事を外注に出したりと大変でした。
慌ただしい中で、家業を続けて行くかどうか考えてみました。
両親が商売を始めてから40年以上、最初は仕事がなくて、夏休みに父と高校野球を見たのを覚えています。
その後、地域の人たちに助けてもらいながら徐々に仕事をもらえるようになり、いつの間にか父の姿はせいぜい朝しか見ない日が多くなりました。
そうして続けてきた商売でもいつか閉めるのは私の役目だと分かっていました。
もし廃業した場合、両親がどう思うか想像してみましたが、母はドライなところがあるので「仕方がない」と言うだろうと思っていました。
でも、父は20年ほど育ててきた従業員が辞めたから看板を下ろした、と言われるのは悔しいんじゃないだろうかと思いました。
そんなことをモヤモヤと考え迷いながらも、半ば流される形で、一人で仕事を続けることにしました。
しかし、当然ながら仕事は激減し、落ち込むことばかりです。
マイナスなことがあると、悪いほうに思考を走らせてしまうのは私の悪いクセです。
この頃もネガティブなことばかり頭に浮かび、「看板を下ろそうか」と何度も考えてしまう日も多くて悶々としていました。
そんなある日、どうしたらいいのか、母にまとまりのない話を聞いてもらっていたときです。
数独パズルをやりながら黙って聞いていた母がこう言いました。
「目の前にあることを一つ一つ真摯にやっていれば、どこかに道は開けるものだよ。それが今の仕事と違っていても歩いて行ける道がきっとある」
いつにない母の口調に驚くと同時に、父と仕事をしていた頃の母を思い出しました。
ワンマンで自己中な父の仕事は、何が起きているか分からず、結果だけ投げられる生活は気の休まるときがなかったと聞いたことがあります。
きっと私と同じようにパニックに陥りながら、一人で模索しながらやってきたのでしょう。
母は子育てと家事を一人でやっていた分、私より相当大変だったはず。
「仕事」の観点から母を見たのは初めてでしたが、辛い経験を乗り越えてきた母の言葉は心にストンと落ちました。
そしてようやく、グズグズ考えるのではなく目の前のことを全力でやろうと切り替え、前を向くことができました。
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