<この体験記を書いた人>
ペンネーム:ころん
性別:女性
年齢:53
プロフィール:父のモラハラの影響で、自分は結婚は向いてないと悟る。身体の弱さと戦いつつも、自由気ままにソロ生活を楽しむ。
恥ずかしい話ですが、うちの父は暴言を吐くモラハラ気質な人です。
言うことはめちゃくちゃで、身内への発言だとしても受け入れ難いものばかりでした。
父は仕事人間で、しょっちゅう出張に行っていました。
小さい頃の私のイメージは「たまに帰ってくる怖い人」。
もちろん、母に対してもキツい言葉を投げかけていたので、母も私も傷つきながら生活していました。
私は小さい頃から父の暴言を聞くたびにショックを受けて恨んでいましたが、その考え方を変えてくれたのは母でした。
私が高校2年生になった年のある日のことです。
その日も父(当時47歳)が母(当時46歳)に暴言を吐いていました。
それでも淡々としていた母に「どうして泣かないで平気なの?」と聞くと、こんな答えが返ってきたのです。
「泣いて何かが変わるならいくらでも泣くけど、何も変わらないんだから、次の手を考えたほうが早い」
この言葉は、母が特に考えて言った言葉ではなく、「夕飯の時間よ」と同じくらいの温度で淡々と言ったものでしたが、私にはものすごく刺さりました。
確かにシクシク泣いても誰も助けてくれません。
「さっきはごめんな」と謝る父でもありません。
それならば、泣いている時間でとっとと対策を考えたほうがいい。
私自身も人に甘えるタイプではないですが、母のほうが遥かに上手でした。
実際、母はどんな暴言を吐かれても、泣いているのを見たことがありません。
この言葉は、今でも私の生活の指針になっています。
仕事でもプライベートでも、何か起こったときに泣かずにすぐ切り替えるのに役立っています。
ひどく叱られても泣いたことがないため、「かわいくないな」と言われたこともあります。
でも、泣いて誰かに助けてもらうのは私の性に合わないようです。
この話を別々の場で働く30代の女性の友人3人にしたのですが、1人で戦ってきた彼女たちにも響いたようです。
3人共「ねぇそれ、私もその言葉をもらっていい?」と言ってくれたので、どうぞどうぞとプレゼントしました。
彼女たちも心の支えにしているようです。
私は持病があって寝込むことも多いのですが、病気が辛いときにもこの言葉を使います。
「泣いていても治らない。どうする?」
そう考えて自分を俯瞰で見て、やるべきことを考えるのはとても現実的です。
意外と使えるし、落ち込みそうな心のつっかえ棒になります。
「そんなにすごいこと言ったつもりないけどな...」
あの言葉が心の支えになっているんだよ、と母に話したとき、母はそう言って苦笑いしていました。
いやいや、あれから何回あの言葉に助けられたか...心に響く言葉は、そういう何気ない瞬間に生まれるのかもしれませんね。
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