<この体験記を書いた人>
ペンネーム:yumekafu
性別:女性
年齢:64
プロフィール:両親の介護のため、公務員の仕事を途中退職し、現在カウンセリング&ヒーリングの仕事を楽しんでいます。
弟(現在62歳)は、17歳のとき高校生活になじめず中途退学してしまいました。
その頃から人目を気にして外に出なくなり、引きこもりがちになり、家の中でも母(当時53歳)以外の人とは顔を合わせようとしませんでした。
その弟が外に出るようになったのは、39歳のときのある出来事がきっかけです。
ある日、弟が突然家を出て2日も連絡が取れなくなり心配していると、3日目の夕方、警察に伴われてぐったりした様子で帰ってきました。
母(当時75歳)と私(当時41歳)が涙を流して喜んでいると、弟が言いました。「僕がどうなっても別にいいし、心配しなくていいよ」
心配していた2人にそんなこと言うのか、と腹が立った私は弟を怒鳴りつけました。
「あなたに何かあって心配ないわけないでしょう!」
弟は黙っていましたが、それからは私と少しずつ話をするようになりました。
しばらくして、私が育休から職場復帰することになったとき、弟が娘(当時1歳)の保育園の送迎を引き受けてくれたのです。
私は「大丈夫かな」と半信半疑でしたが、弟はその時間を楽しんでいたようで、3年間も続けてくれました。
それからは、母の買い物や用事、通院の送迎もするようになり、外に出ることが増えていきました。
弟が家族以外の人と話ができるようになったのが49歳のときです。
その頃、弟は不眠に悩んでいて、病院で睡眠導入剤を処方してもらっていました。
ある日の午後、母(当時85歳)から「弟がまだ寝ているの、おかしいよ」という電話があり、弟の部屋の前で声をかけドアを叩きましたが反応がありません。
急いで救急車を呼んで開けてもらうと、弟が椅子に掛けたままぐったりしていました。
そのまま救急搬送され、話せるようになったのは3日後でした。
弟は眠れなくて薬を多めに飲んだそうです。
その後、治療とリハビリのために半年間入院したのですが、その間、毎日医者や看護師の熱心な治療を受け、温かい言葉をたくさんかけてもらい、弟は人の優しさを身に染みて感じたようでした。
それからは、看護師さんや同じ入院患者と話をするようになり、弟の顔も穏やかになっていきました。
そんな弟が仕事を探すようになったのが54歳のときです。
もう90歳になっていた両親の介護のため、弟と両親が住んでいる実家に、ヘルパーさんが頻繁に来るようになりました。
当然、弟とヘルパーさんが顔を合わせることが増えて、話もするようになりました。
ある日、部屋で歌っている弟の声を聞いたヘルパーさんに「歌が上手ね。カラオケで歌ったらいいのに」と勧められ、近くのスナックで歌うようになりました。
店の人やお客さんにも歌を褒めてもらい、カラオケ仲間もできました。
弟はその頃から仕事のことを考えるようになりました。
「もっと好きなことややりたいことを楽しみたい。そのためにはお金が必要だ」
そう実感した弟は、それから自分にもできることはないかと仕事を探し、58歳で初めて仕事に就いたのです。
三味線の部品作成の仕事で、仕事仲間もできて頑張って続けています。
弟が仕事をするなんて、10年前には考えられないことでした。
人っていくつになっても成長できるんですね。
「弟は弟のスピードで前に進んでいるんだ。それでいいんだ!」と、今素直にそう思えます。
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