【消えない後悔】お母さんの笑顔がもう一度見たかったな。最後の日々で「優先すべきだったこと」

<この体験記を書いた人>

ペンネーム:ぴろ
性別:女性
年齢:57
プロフィール:母が亡くなって、そろそろ3年。ときどきふっと心細くなるときがあります。

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父が亡くなって、私たち姉妹が住む市に母を連れてきたのが2017年。

その年の母の日のことをよく思い出します。

母は76歳、私は52歳、妹は49歳でした。

うちは昔から商店を営んでいたので、食卓を囲んでいてもお客さんが来ると中断となり、食事をゆっくり楽しむことができませんでした。

元日を除いて、年中無休24時間営業みたいな感じだったのです。

そんなわけで、私たち姉妹とその家族で祝った最初で最後の母の日でした。

母の新しい生活を心配していた母の兄妹に、元気な様子を伝えようと思ってたくさん写真を撮りました。

妹と母が笑いながらカニの身をほぐしている写真、孫と一緒にカラオケで歌う母、私の家族と妹の家族に囲まれた集合写真...。

その写真にコメントをつけて印刷して、これまでのお礼とともに母の兄妹に送りました。

今となってはそのときの写真があって本当に良かったです。

後から見返しても、そのときの母は本当に心から楽しそうに見えました。

そのときは、これが最後になるなんて思ってもいませんでしたが...。

これからも毎年こんな楽しい時間をみんなで、と意気込んでいたくらいでした。

あれから2年ほどして母は亡くなりました。

父が亡くなる数年前から、母は認知症になっていました。

認知症になる前、母は何があっても動じずに笑う、しっかり者の明るい人でした。

そんな母が弱気になって、常に漠然とした不安を感じている姿は見ていて辛かったです。

会話は普通にできていたと思うのですが、母の本当の気持ちが分からないのです。

母はもともとハッキリした人でした。

こうしたい、これがいいという決断は早くて的確だったのに、ささいなことでも自分で決められなくなっていました。

「お姉ちゃんがいいようにして」「お姉ちゃんにお願いするわ」と。

でも、少し時間がたって、例えば父に違うことを言われると、「お父さんがそう言ったから」とさっきと話が変わってしまいます。

その時々で近くにいる人の意見を言うのです。

それに何度も翻弄されました。

認知機能の衰えも心配でしたが、それ以上に母の心が心配でした。

母の喜怒哀楽は分かりにくく、話していても楽しいのか、悲しいのか、嬉しいのか、辛いのか、伝わってこないのです。

心ここにあらずといった感じで、そういう時間が増えていきました。

よく笑う人だったのに、いつも凪のような、どこか遠くを見ているようなぼーっとした感じで「無」になっていくのが辛かったです。

認知症の進行と同じく身体の機能の低下も起こり、母は自分の足で歩けなくなりました。

肺が悪くなって息も苦しく、施設から外出することが難しくなりました。

楽しかった母の日の食事会からたった1年で、そこまで弱ってしまうなんて想像もできませんでした。

進行を遅らせようと、脳トレや簡単な筋トレのようなことをやらせてみたのですが、今となってはそんなことをせずに、もっと楽しいことだけしてあげられたら良かったと後悔しています。

渦中のときは気が付かなかったのですが、私は雑用に追われていて、生活の環境を整える余裕がなかったのだと思います。

もう一度チャンスがあれば、2回目はもっとうまくやれると思うけれど、お母さんはもういないんだよね。

お母さんの笑顔がもう一度見たかったな。

なんでもないことで大笑いして、もう一度、一緒にご飯を食べたい...母が亡くなって3年、そんなことを考えています。

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