祖父の介護で「何よりうれしかった」こと。そして祖父の没後、祖母の姿を見て感じたこと

ペンネーム:YAKO
性別:女
年齢:37
プロフィール:事務職として入社した身体障がい者施設で、少しですが介護を経験。この体験が祖父、祖母の介護の助けになりました。
※毎日が発見ネットに掲載された体験記を再構成してお届けします。

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高校卒業後、身体障がい者療護施設への入社が決まり、出社初日は新人研修から始まりました。

新人は、事務職の私と調理課の1名、介護職数名です。

養護施設付属の病院が同敷地内にあり、そちらで実地研修が行われました。

入院施設の方へ案内されると、丁度オムツ替えやベッドメイキングをしている最中で、一人ずつ手伝いに入るようにとのこと。

「自分たちも参加するの?」と思わず調理課の方と顔を見合わせてしまいました。

「介護の仕事も研修として経験してもらいます」と研修担当の人から言われ、戸惑いながらもベッドメイキング、オムツ替えの仕方などを教わりました。

「上半身を抱え、お尻を軸にして、てこの原理の要領で足を動かし、座らせます」

そうは言われても、いくらご老人とはいえ、体格の大きな男性です。

華奢な私が抱えて、万が一怪我でも負わせたらと不安に思いつつ、おそるおそる抱き抱え、言われた通りに体位を変えるとスムーズに座らせる事ができました。

思わず座らせたおじいさんに喜びを伝えると、頭を撫でて下さったのが忘れられません。

他にもお風呂の見学や食事介助の手伝いなどを終えると、次の日からは事務職に専念する事になりました。

しかし、食事介助のヘルプを頼まれることがあり、そのたびにこの研修が思い出され、初心に返るような新鮮な気持ちでお手伝いできました。

介護される方にお声がけするだけでなく、介護する側も声をかけられると嬉しいものです。

この経験を経て、介護にはコミニュケーションがとても大事なのだと実感しました。

施設で働いている最中、祖父(当時71歳)がパーキンソン病を患い、歩行が困難な状態になってしまいました。

幸い杖を付けばゆっくりと歩行できる程度に回復し、当時は元気だった祖母が全面的に介護をしていました。

私が祖母宅に行く回数を増やすと、食事介助を任せてくれました。

祖父は脳機能の衰えからか、気力低下の傾向があり、進んで箸を持つことをしなくなっていました。

咀嚼は十分にできたので、私がすることといえば口に運ぶ程度でしたが、何よりもうれしかったのは、食事を通じてコミュニケーションがとれたことです。

職人気質で気難しかった祖父とは会話をする事も少なくなっていたのですが、養護施設での出来事などを話し、ゆっくりとした時間をすごせました。

食事の介助をするだけでなく、会話ができたことが本当によかったと思っています。

祖父の状態も安定したと思っていた平成13年9月末頃、祖母から祖父が冷や汗をかき、様子がおかしい、と母へ連絡が。

そのまま総合病院へ連れて行き入院となりました。

車中に話もできたと聞いていたので、翌日見舞いに行こうと安心していたのですが、容態が急変し、私が見舞いに行った時にはICU(集中治療室)へ移った後でした。

ICUというのは普通家族の面会時間は大体決まっているそうなのですが、祖母は例外として、朝から夜まで付き添いを許されていました。

約50日間の入院の間、話かけたり、体を拭いたりと献身的に世話をする姿が、今でも思い出されます。

その後、祖父は平成13年11月に息を引き取りました。

74歳でした。

病院では気丈に振舞っていた祖母でしたが、葬式の準備の時にふと、遺影に向かい、「ありがとう」と呟き泣いているのを見て、今家族というもののあり方を教えて貰っていると感じ、身にしみました。

その後、祖母も要介護になり、私も介護に携わりました。

身体障がい者養護施設での体験は、祖父、祖母の介護時に活かせたのではないかと思っておりますが、あの時の祖母の献身に近づくには、まだまだ道のりは遠いです。

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
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