親が死んでよかったと思うなんて...。認知症の母を大声で怒鳴っていた父

親が死んでよかったと思うなんて...。認知症の母を大声で怒鳴っていた父 11.jpg

ペンネーム:ぴろ
性別:女
年齢:53
プロフィール:遠距離に住む父と母の介護が悩みの種でした。50代パート主婦です。

※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

◇◇◇

78歳で亡くなった私の父は、私が幼いころから気難しい人でした。人を信じず、いつも不満を口にしている、そんな印象です。いつも機嫌が悪くて、私と妹がふざけて笑っていると、うるさいと怒鳴るのが日常でした。

小学生の頃、父の日にライターと灰皿をプレゼントしたことがありました。喜んでくれるかなぁとわくわくしていたら「なんだこんなもん!」と言ったきり。

話が通じない人というか、独自の考えの中で生きている人という感じです。その頃から、なんだか親子の関係をあきらめるような気持ちが私と妹には芽生えました。

 

そんな父でも、仕事をリタイヤして自分の趣味が自由にできるようになった時期には、少し性格も穏やかになってきていました。ただ、そんな穏やかな暮らしは長く続きませんでした。母が認知症になってしまったのです。

うちの実家は、母によってまわっている家でした。日々の暮らしの様々なことが母の手にかかっていました。金銭管理、保険の手続きや車検、家のメンテナンス、近所づきあい等々を母ができなくなってからは、父がやらなければならない状況になりました。父は自分でお金をおろしたこともない人です。私達娘は離れて暮らしているので、日々の生活を直接支えることはできません。それでも事務的な手続きは帰った時にまとめてやったりしてきました。介護認定の手続きや訪問看護の手配もやりました。少しでも助けになればと思っていたのです。

最初の頃は薬の飲み忘れがあるというので、毎日電話をして確認するということになりました。でも父はそれがおもしろくなかったようで、遠回しに電話してこなくていいと言ってきました。お前も忙しいのだから、毎日電話などしなくてもいいぞと。私は言葉通りに受け取ったので、「私のことは気にしないで。毎日電話するね」と言って電話していたのですが、後にケアマネさんや周りの親戚に話を聞くと、私から電話がくるのは迷惑だと話していたそうです。良かれと思ってやっていたことが迷惑といわれる理不尽さ。

そのくせ自分に何か聞いてほしいことや言いたいことがあると、昼夜を問わず電話をかけてくる父です。父からの毎日の電話は、もう恐怖になっていました。母がまだそれほど認知症が進んでいない時に、自分で管理できなくなりそうだからと大きな額の預金通帳や保険証券などを預かっていました。それを返せ返せと毎日電話で言われるようになりました。でも返したら失くしてしまうのです。すでに何度か再発行の手続きをとっています。

一時はすべて返して縁を切りたいとまで思ったこともありました。親のお金なんて私には必要のないものです。でも親の生活を支えていく大事なお金です。

介護をしていくなかで父は昼間からお酒を飲むようになり、アルコール依存症ではないかと思われることもありました。電話をかけてきても何を言っているのかろれつが回らず、要領を得ないこともありました。母は認知症で物忘れが激しく物をなくしてしまう、父は昼から酒浸り......。

判断のつかない親がそのまま通帳や保険証券などを持っていたら、恐ろしいことになってしまいます。

父は何度話してきかせても、母が認知症ということを理解できませんでした。毎日同じというわけではなく、調子のいい日もたまにはあるので、そのときは昔にもどって母に用事を言いつけたりしました。でも母は、言われたことをきちんとはもうできません。それで、また父は激怒して大声で母を罵ったりするのでした。そんな生活が数年続きました。私達は何度も父にお母さんは病気なのだから怒ったりしてはいけないと言いましたが、そのたび「俺だってわかってる、だけど、同じこと何度も言って、何度も聞かれて腹立つんだ」と。

これから先どうしていったらいいんだろうと思っていたところに、父が急死しました。正直ほっとしました。母だけなら一緒に暮らすことも可能だし、施設にも入れると。

母の介護は続いていくけれど、ひどい娘ですが、こうなって心底良かったと思っています。

関連記事:なぜ私は父との関係をよくしようとしなかったのか/岸見一郎「老後に備えない生き方」(5)

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
記事に使用している画像はイメージです。
 

この記事に関連する「みなさんの体験記」のキーワード

PAGE TOP