認知症の義母との同居。1日何度もやってくる「ご飯はいつ?」の対策とは

2.jpg

ペンネーム:NUTS
性別:女
年齢:50
プロフィール:関西在住。自営業の旦那との間に大学生の一男一女。仕事と子育てと介護を同時に経験した経歴を持つ。

※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

◇◇◇

義父が亡くなり、84才の義母と同居をすることになりました。

同居といっても、何年も前から徒歩1分圏内に住み、食事から家のこと全てを通って行っておりましたので、かえって楽になるのだと思っていました。当時、下の子がやっと小学校に入学したばかりでしたが、学区が変わることもありません。

子供たちの手が離れてきたと実感し始めたと同じ時期に、義母の認知症は進行していきました。

食事が終わっても、なかなか席をたたない。本人は、食事をしたのかどうかがわからなくなっていたのです。なので、食べ終わった食器は「もう、全部食べたんか」と名残惜しそうに部屋へ帰るまでそのままにしておきました。

まあ、5分もしないうちにやってきて、「ご飯はいつ食べさせてもらえるん?」となるのですが。でも大丈夫。「もうちょっと時間がかかるから、部屋で待ってて」と時間をかせぎ、再びやってきた時には、「ちょうど甘いものあるから食べる?」とそちらを出します。ある意味、義母の言うことはいちいち反応しなくてもよいのです。会話をさえぎってもOK。案の定、「私、甘いもん好きやから」とお茶と一緒に食後のデザートタイムへ突入です。

で、だいたいは「ごちそうさん」となって部屋へ。また来たら、今度は「おせんべいが...」
とエンドレスです。こっちが疲れているときはテーブルにお菓子のセットを置いておき、逃げます。これが大事。逃げるが勝ちです。

服が汚れているのに着替えてくれないことも多くありました。本人いわく、「あとで着替えるから置いといて」ですが、当然、何時間たっても着替えません。暑いときは匂いますし、寒いときは汗で冷たくなってしまいます。小さな子供と一緒で、気持ち悪いけれどどうすれば良いのかわからなくなってしまうようなのです。そして、わからないまま部屋をぐるぐる回りだしたりしていました。こういう時は、強行突破です。

ガラッと部屋に入り、「あれ?背中になんかついてるみたい」と回り込み、背中から上着を

めくりあげ、ズボンを下ろしてリハビリパンツの脇を破り、「あ~。これはダメだ。ちょっと脱ごうかな」と用意した着替えをさっと出す。この時、「助けて~!」とか「警察よんで~!」とか叫ばれますが、耳と心に蓋。そして着替えを受け取った瞬間、「あれ、なんで私が着替えてるときにこの人、部屋に入ってきてるんだろう」みたいな感じになるんですね、母の場合。そうしたら「じゃあ、またね」とこちらも退散。

義母との介護は、子育てと同時進行ということもあり、子供たちも随分振り回されていました。一緒に出掛けても、義母が帰ると言い出したら、即帰らなくてはいけません。同じことを何度も聞かれますし、当時小学生だった娘はなぜか義母のお友達扱いで、よく部屋に呼ばれていました。何をしていたかというと、部屋に座布団を何枚か敷いてあり、「今からお友達が来るから、あんたもここへ座って」と座らされ、透明なお友達とのおしゃべりに強制参加させられるのです。義母はまるで落語のようにしゃべります。「あんたも? それは知らんかった」「そんなん言うたかて私知らんかったもの」とか、声色も変えて。時にはけんかも始まるので、にぎやかなこと。

盛り上がってきたところで、娘はそ~っと離れるそうです。

と、うちの義母の場合はこんな感じで、私も試行錯誤の末、毎日手っ取り早くお世話が済む方法を編み出したりしていました。子供たちも義母との距離を上手に測っていました。当時の私は必死でした。でも、毎日のことなんだからいいか、くらいの気持ちもありました。だから、6年もの間一緒に暮らせたのだと思います。

そう、とっくに私と義母とは家族でした。好きとか嫌いとかではなく、一緒にいるのがあたりまえの、家族だったのです。

関連記事:有酸素運動にカマンベールチーズ? 認知症の最新予防法

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
記事に使用している画像はイメージです。

この記事に関連する「みなさんの体験記」のキーワード

PAGE TOP