言葉が出ない、手足に力が入らない...脳梗塞のおそろしさを目の当たりにした日

言葉が出ない、手足に力が入らない...脳梗塞のおそろしさを目の当たりにした日 1.jpg

ペンネーム:つよぽん
性別:女
年齢:38
プロフィール:結婚を機に夫の両親と同居しています。当時66歳だった義父が脳梗塞で倒れ、家族で助け合う大切さを痛感しました。

※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

夫の両親と同居をして8年目のことでした。当時私が36歳のとき、66歳の義父が脳梗塞を発症して入院しました。おそろしくて震えがとまらなかったことをいまでも覚えています。

病院で処置を受ける義父。医師からは「後遺症が残る可能性がある」と言われました。もう今までのような元気な義父を見ることができないのだろうか......。ベッドに横たわり点滴を受ける義父の姿をみると、昨日まで元気に過ごしていた義父が嘘のようです。義母が付きそうため、私はいったん自宅へ戻りました。

いつも座って本を読んでいるはずのソファに義父の姿がない。それだけで心にポッカリ穴があいたような気持ちになり、寂しくて仕方がなかったです。当時2歳だった娘も「じいじは?」と連呼してきます。娘も私と同じ気持ちなんだと感じました。

脳梗塞を発症した翌日、娘を連れて義父が入院する病院へ向かいました。どんな様子なのか、不安でいっぱいです。恐るおそる病室のカーテンを開けると......昨日と変わらず寝たきり状態の義父の姿がありました。しかし、孫を見た瞬間に笑顔になります。

「き......てくれたの......かい」と孫に一生懸命話しかけていました。思うように言葉を発せられない状態でしたが、義父の表情を見ると「孫」からもらうパワーは計り知れないものだと感じました。また孫と一緒に遊べるくらい回復してほしいと願うばかりです。

発症してから3日が経過。看護師さんや義母に介助をしてもらいながら、食事をしていました。手足に力がはいらず、お箸を持つのも難しい様子です。一瞬にして人間の機能をうばう脳梗塞のおそろしさを痛感します。

入院中は「座る」「立つ」「車いすに乗りうつる」などの訓練、そして食事やトイレなど日常生活に必要な動きの訓練をおこなっていました。どれだけ回復できるのだろうか。このときは予想すらつかない状況です。

病院で一生懸命に歩行訓練をする義父の姿。私にできることは、見守ることしかありませんでした。

入院して2週間が経過しました。リハビリの効果もあり、自力で歩けるようにまで回復しました。車いす生活になるのでは? と心配していただけに、とてもホッとしました。発症当初からは想像もつかない姿に家族みんなの笑みがこぼれます。

しかしリハビリ生活はまだ続きます。2週間で退院し、リハビリテーション病院でリハビリをおこなうことになりました。1週間に2回の通院です。義母は働いているため、私が義父を連れて病院へ通いました。器材や手技をつかったプログラムで身体機能の回復をめざす施設のようでした。リハビリに励む人たちを見て、病気発症後のリハビリも非常に重要なことだと実感します。

リハビリを地道にがんばった効果もあり、脳梗塞を発症して2年後には車の運転ができるまでに回復しました。まさか車の運転ができるようになるとは思っていなかったので、とても驚いています。病気を発症しても決して諦めない心を義父から学びました。

病気と向きあうためには「家族の協力が必要不可欠」です。もし私自身が病気を患ったときは、家族に助けてもらうことになるでしょう。人生はギブアンドテイクです。日ごろから家族を大切にし、信頼関係を築いていきたいと思います。

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