「僕は被害者だ」夫が吐露した長年の思い。私たちは親の老後生活の担保だった?

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ペンネーム:ぴあにっしも
性別:女
年齢:55
プロフィール:子育てが終わったとたん介護生活が始まるという、我が人生に休憩なしの昭和ど真ん中世代

※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

◇◇◇

ことの発端は義母の介護問題でした。

夫は4人兄弟の長男。4年前、介護が必要になった義母の今後について兄弟間で話し合いの場がもうけられました。

ところが、話し合いが決裂したのか、帰宅した夫から噴出したのは彼の抱えていたわだかまりでした。

「僕は好きでここに住んでいるわけじゃない。こんな大きな家だって建てたかったわけじゃない。お父さんが小さい家ではダメだっていうから大きな借金までして建てただけ。仕事に行くには不便だし、僕はある意味で被害者だ」。そうみんなに言ってきた......と。

今私達が暮らす家は、もとは夫の祖父がいくつか持っていた土地のうちの一つで、いわゆる古い下町。義父が結婚当初にお金がなかったことから譲り受け、稼げるようになってこの家の近くにできた分譲地に土地を買って移住したため、この土地はずっと空いたままになっていたのです。

 

私たち夫婦は、夫の仕事の関係で他県に住んでいたのが転勤で戻ってくることになり、会社に少しでも近いところに住まいを探していたところ、義両親からうちの土地が空いているから帰ってこいと言われたのです。会社まで片道2時間。遠距離通勤は明らかでした。

義両親と夫と3人で話し合ってここに住むことに決めたのはずなのですが、夫の父は昭和一桁生まれの頑固者。いわゆる地震・雷・火事に続くタイプの父親。今更ながら、きっと対等な話し合いはできてなかったのではと思うのです。

義実家もそれなりの広さの家なので、義両親が来るなら狭い家ではダメだといずれ一緒に住むことを前提でバリアフリーの家を建てたのが20年前。

10年後に義父は介護される人となって最期は車椅子生活でしたが、結局自分が建てた家を離れることなく自宅で看取られました。義母だって「この家が一番なのよ、お父さんの(介護した)時みたいに、あなたがここに通ってきて」と自分達が選んだ土地に建てた家のほうが思い入れがあるのは明らかでした。

一緒には暮らしたくないけれど近くには居てほしい。要は、私達夫婦は義両親の老後生活の担保のようなものだったのかもしれません。

私は意見が言える立場にはないので、夫が良しとすればそれが全て。その時は、夫も遠距離だけれどもなんとか通えると思ったのかもしれません。でもそれは若い時だけで、年を追う毎に体の疲れは溜まっていきます。

義母としては譲られた土地を手放すのは本家に対して気が引けるし、私たちが住んでくれれば税金を払わなくて済むし、手入れに行かなくてもいいから助かるくらいに考えていたのではないかと思うのです。

実はこの土地は私道を含む土地で、その私道を全く別の人が持っていたというトラブルが絡んでいました。正直、土地と言えどももらって嬉しいかと言われれば複雑な気持ちがあります。それでも夫が十分納得したうえで出した結論なら仕方がないと思えるのでしょうが、実はそうじゃなかったとなると、何のためにここに家を建てたのかと気が重くなります。

義両親の思い通り、介護が必要になった時には私が通ってお世話をし、それだけでなく義弟も転職までして帰ってきて一緒に暮らしてくれ、義母も思い入れのある家で暮らし続けることができ、義母は予定通りの幸せな老後を送れているのかも知れません。

そんな義両親の思いとは裏腹に、夫のわだかまりと残った多額の借金と憂鬱。

今、自分達があの時の義両親と同じような年齢に達し、親の介護などを通して年老いていく不安も切実に感じるようになった上で思います。

子供を親の老後の担保にしない生き方を考えなければならないと、強く思っています。

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