本当はありがとうと言いたかった。ずっと悔やまれる、母に最期にかけた言葉

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ペンネーム:あめゆじゅ
性別:女
年齢:54
プロフィール:昨年の秋に独り暮らしをしていた父(85歳)を呼び寄せ、親子孫の三世代で暮らしています。

※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

母が亡くなってからもう9年になります。月日の流れるのは早いもので、10年ひと昔と言いますが、かれこれ一昔前の出来事になるのに今だに引きずる思いをもっています。

母が出先で脳内出血をおこし、救急搬送されたのが63歳の時。それから83歳で亡くなるまで、人工透析を受けながら不自由な体を引きずって生きていました。最後の5年くらいは認知症も伴ってほぼ寝たきり。私が最後に介護に出かけた時には、電動で寝返りがうてる介護ベッドを利用するような状態でした。

  

関東に暮らす私が、介護のために長期で関西の実家に帰れるのは、学校に通っていた息子たちの長期休暇、つまり春、夏、冬の年3回だけ。普段は介護サービスを使いながら父が自宅で介護をしていました。そんなことを何年も続けた最後の夏、母はこの世を去りました。

母はもともとスリムな体型だったうえに、透析をしていたので食事制限や水分制限もあって、痩せていました。その夏、私がいつも通り母の介護のために実家に帰った時は、さらに痩せて顔つきも随分と変わり、足には浮腫が出ていました。

そして、滞在期間を終えて関東の自宅に戻った日の夜、母が救急搬送されたと父に呼び戻されました。もう長くはないと父に言われて、同じく関東に住む兄も呼ばれ、二人して翌日の午前には病院に到着。母はその時は意識が戻っていて、お見舞いに来てくれた親戚の「がんばれ」という励ましにも、うんうんとうなずく様子も見られました。

でも、私から見たら母はもう限界。そして母だけでなく、父も限界を迎えていました。いくら体の小さい母でも、父にとっては老老介護。それも長期にわたっているのですから、年々肉体的にも精神的にも疲労とストレスが溜まっていくのが分かります。

父がいつも私が来るのを心待ちにしていることは、毎回痛いほど伝わってきていました。そんな父に介護される母も、気を使ってしまって可哀想でした。

「もう頑張らなくていいよ」

父と兄と私の3人で母の病室を後にするときに、私の口から思わず出た一言でした。今まで本当によく頑張ってきた母を労う気持ちを込めていたのですが「お前、なんでそんなこと言うの?」と兄に言われてハッとし、言ってはいけないことを言ってしまったのかと後悔。

母は認知症もありほとんど反応がないような状態だったのに、その時に困惑したようなクシャっとした顔つきになったことは今でも忘れられません。

その2日後、まだ大丈夫そうだからと兄と私は一旦それぞれの家に戻ることにし、二人で羽田に向かう飛行機に乗り、飛行機が離陸した直後に母は病室で逝きました。

悲しいことに「もう頑張らなくていいよ」が、私が母にかけた最期の言葉になってしまいました。先の戦争で苦労し、祖母や祖父の面倒を見、兄や私のことを応援してくれ、力になりたくさん支えてくれたのに、最後に感謝の言葉をかけられなかったことは、私にとって心の痛みを伴う後悔となってしまいました。

今更ですが、言わせてください......「ありがとう、私はあなたの娘でよかったよ」

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
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