家族のコミュニケーションだから。糖尿病の父と始めた食事制限

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ペンネーム:こみく
性別:女
年齢:27
プロフィール:私の家では、家族そろってご飯を食べることがルールになっていました。それは父が糖尿病を患ってからも変わりません。

※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

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私の家族はみんな食べることが大好きで、毎日の食事は基本的に家族そろって食べることが習慣になっていました。父の仕事がない日は家族みんなで外食に行ったり、家族で好きなものを食べることが幸せでした。

私が高校2年生のとき、当時55歳だった父が目の不調を訴え、眼科を受診しました。眼科の先生に、「目だけの不調ではないと思います」と言われ、近くの総合病院を紹介されました。糖尿病でした。父はやせ形でメタボリックシンドロームなどとは無縁でしたが、調べた結果血圧も高く、いつ倒れてもおかしくない状態だったそうです。糖尿病と上手に付き合っていくために、インスリン投与と食事療法が始まりました。

食べることが大好きだった私たち家族にとって、食事療法はとても厳しいものでした。好きなものを好きなだけ食べていた生活と比べると、炭水化物であるお米の量を計量器で量り、決まった分しか食べられない生活は想像以上につらいものでした。母は、おかずの塩分量調整、糖質管理など計算しながら毎日の食事を作っていました。しかし、一番つらいのは父だったと思います。そのため、私たちは今までと同じように、食事の時間も食事内容も父と同じものにすることに決めました。

高校生だった私にとって、その食事はとても味気ないものでした。育ちざかりの年齢だったため、炭水化物はしっかり摂るようにしていましたが、おかずは父と全く同じものを食べていました。食事療法を始めてからしばらくは、食事の時間の会話が少なくなってしまったように思います。濃い味付けのものを好んでいた父にとって無味に近い食事になっていたからです。「おいしいね」と食べられないことがとても悲しかったのを覚えています。しかし、それ以上に父の糖尿病が悪化しないことを願っていました。

そんな食事内容も年々変わっていきました。食事療法や運動量を増やすなど生活習慣を見直したことで、病状を見ながら医師と相談し、インスリンの量が変わると同様に食べる量も変わっていきます。初めはお茶碗に数口の玄米を混ぜたご飯でしたが、今では150gの白米になり、おかずが薄味なことは変わりませんが減塩の本に書いてあるようなレシピだけでなく、和食・洋食・中華などさまざまなものが食卓に並びます。毎日食事を一緒することでその食事内容が当たり前になり、文句を言う人はいませんでした。

私たち家族にとって、食事はコミュニケーションのひとつだったと思います。食事の時間には、各々の学校や職場で起きたことを話したり、それを笑って聞くのが家族の大切な時間だったのです。食事療法で食事内容が変化した今でも、家族にとって食事の大切さは変わっていません。むしろ家族の健康をより一層気にかけ、食事を大切にするようになったと思います。糖尿病が完治するということはほとんどないことだと思います。そんな父に、同じご飯を食べる家族だからこそ、寄り添うことのできることがあるのではないかと思います。

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