「田舎にもどりたい」余命わずかな兄の最期の願いをかなえるために

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ペンネーム:こみく母
性別:女
年齢:58
プロフィール:私には6歳上の兄がいます。そんな兄が肺がんで入院することに。兄のためにできることを必死に考える毎日でした。

※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

◇◇◇

私には、6歳上に兄がいます。年も離れていたため喧嘩もなく、私が結婚をするときも誰よりも応援し祝福してくれた、優しくて大好きな兄でした。

ある年のお盆のことです。子どもたちも社会人になり、子育てを終えた私はのんびりと実家に里帰りをしていました。ひとり身だった兄は、毎年実家に帰省していましたが、その年は連絡がありませんでした。おかしいと思った私は兄に連絡をし続けました。数日後、兄から電話で入院していることを聞き、兄の入院先に飛んでいきました。

その姿はあまりにも衝撃的でした。兄の体の周りを囲むいくつもの機械、その痩せた姿にショックを隠せませんでした。状態は肺がんのステージ4。当時63歳だった兄は、体力的にも気力的にも積極的に治療をしていくことが難しい状況でした。

私が住んでいる地域からも田舎からも遠い地域に住んでいた兄でしたが、その後私は足しげく兄のもとに通い続けました。私には、兄が食べたいもの、ほしいもの、少しでも兄の望むことをしてあげたいという思いしかありませんでした。しかし、病気がこんなに悪化するまで弱音を吐かなかった兄は、こんなときでさえもワガママを言ってくれません。なにもできず、無力さしかない私は、兄と接する間涙を流さないように我慢するだけで精一杯でした。一番つらいのは兄自身だからです。

兄は、ある日私に言いました。「もう少し仕事したら田舎に帰るつもりでいたんだ」と。私は、兄とこれからどうするかについて話しました。治療は、体力的に回復しないと難しい状態です。しかし、兄本人が延命には消極的でした。「これから自分で選んでいいよ。できることはサポートする」と兄に伝えると「田舎にもどりたい」と言いました。兄は最期の場所を自分が生まれ育った田舎にしたいと初めて思いを伝えてくれたのです。主治医と話し、受け入れ先の病院が決まってからはすぐでした。医療タクシーに乗り、点滴をしたまま1日かけて移動しました。新しい病院でも検査をしましたが、状態は変わらず治療はしないことになりました。

田舎に近い病院になり、母も見舞いにこれるようになって、病気になって初めて会うことができました。きっと兄は病気の姿を見られることが嫌だったかもしれません。それでも私は母に会わせてあげたかったのです。兄がもどりたいと願った田舎での時間を大切にしたかったのです。

田舎にもどった数日後、兄は亡くなりました。亡くなる直前まで一緒にいることができ、昔話をたくさんしました。兄は反応できなかったけれど、しっかり聞いてくれているのはわかりました。「もっと一緒に話をしたかった」「もっと早く病気のこと知ってたらできることはまだあったのかもしれない」......数えきれない思いが溢れだし、私は初めて兄の前で泣きました。今まで我慢していた分、どれだけ泣いても涙が止まらないほどたくさん泣きました。

兄の遺品を整理していると、母や私宛の記入済み宅配伝票などがたくさんあり、本当に几帳面で家族思いな兄だったと思います。そんな兄の願いを私自身どこまで考えてあげられたのか。今となっては答えを知ることもできず、なにもできません。「田舎にもどりたい」と話してくれた兄を田舎に送り、最期を一緒に迎えられたことだけが救いでした。兄のためになにもできなかったけれど、私は兄の妹に生まれて本当に幸せでした。

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