残された家族の後悔。肺がんで余命いくばくもない兄にしてあげたかったこと

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ペンネーム:こみく母
性別:女
年齢:58
プロフィール:私の兄は肺がんでした。大好きな兄を見舞い、看取る以外にもまだまだ兄にしてあげたかったことがあります。

※ 毎日が発見ネットの体験記は、すべて個人の体験に基づいているものです。

兄が肺がんを患ったのは63歳のときです。私の兄は真面目で、とても優しく、自分のこと以上に家族のことを考え、向き合ってくれる人でした。そんな兄だから、病気や入院したことを告げてくれず、私が病院に行ったときには、兄はすでにステージ4でした。

兄とは離れて暮らしていましたが、入院してからは1週間に1度はお見舞いに行くようにしていました。兄は、私が学生の頃に結婚し子どもがひとりいましたが、事故で亡くし、その後離婚しずっと独り身でした。

兄とゆっくり話すのはいつ振りだろう。私たちは病院に会いに行くたび、語りきれないほど昔話をしました。ただ、兄の病気や死が近づいていることを受け入れたくない私の気持ちから、これから先のことについては自分から口を出すことを避けていました。そのため、兄からお願いされた車の廃車手続きや家のライフライン、郵便など以外、どんな手続きがあるのか、何をすればいいのか分からずにいました。

お見舞いに行くたびに、してほしいことや欲しいものを聞きましたが、兄からはあまり言いません。人に多くのものを頼むタイプではないので、遠慮していたと思います。それでも私なりに考え、必要だと思うものを持っていきました。

車の廃車手続きが終わり、家の不必要なものを処分していくことにしました。着替えをする元気もない兄は、「家のものはすべて処分していい」と言っていました。しかし、まだ生きているのに、と思うと思い切った処分もできず、目についたところを少しずつ整理していました。

  

入院してから2ヵ月後、兄は永眠しました。入院中は頻繁に顔を見に行き、頼まれたことはきっちり行いました。そして最期を看取ることもできました。

それでも、兄が最期にしたいことや気がかりなことついて自分から詳しく聞かなかったことは、今でも私のの中で後悔として残っています。

人間誰しもいつかは命が尽きるとわかっていても、死の直前に何を望み、何を考えるかはそのときの本人にしかわからないことです。それでも、たとえ残される側のエゴだとしても、せめて自分にできることは全てしてあげたかった、私は一体兄の最期に何をしてあげられたのだろうと考えてしまうのです。

「やりつくす」ことはできないかもしれませんが、私は本当に兄の望むことをしてやれなかったと感じてしまいます。

兄はいつも兄自身の身の回りの整理や片付けについての話ばかりしていましたが、それでも亡くなった後、会社や兄の友人から多くのお見舞いや香典をいただきましたが、交友関係について把握し切れていなかったので詳しく聞いていなかったため、お返しをするために携帯の登録や年賀状のやり取りなどを見て調べるのに苦労しました。また、カード類の手続きや解約も盲点で、整理や処分に時間がかかりました。

それでも、事務的な作業は、契約者の死亡ということで手続きをすることができます。

やはり、後悔として残るのは、兄本人がしたいことや考えていることを聞かなかったこと、兄が最期にしたかったことや見たかったことを知らないまま亡くなってしまったことなのです。

今回の兄の件で、死を迎える準備をすることは大切だと私自身も学びました。兄は残された人が少しでも楽なように、身の回りの整理や片付けについて話してくれました。しかし、私は兄自身が最期を迎えるためになにができたのか、後悔してしまうことばかりでした。もっとしたいことを積極的に聞けばよかったと思うばかりです。

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
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