3年前の9月、コロナ禍真っただ中に、母はこの世を去りました。
87歳、最期は特別養護老人ホームの個室で、一人で旅立ちました。
サービス付き高齢者向け住宅に住んでいた母は、ベッドから落ちて大腿骨骨折をし、入退院を繰り返すようになっていました。
【前回】本当に大変だった実家の片づけ。元気なうちに潔く"捨てる"ことの大切さを痛感
動けなくなって認知症がさらに進行していき、念願の特別養護老人ホームに入所できたのは、亡くなる年の春のことでした。
綺麗な施設に入れて良かったと喜んでいた私たち(兄、妹)ですが、特別養護老人ホームとは人生の最後のステージを過ごす場所でもあったのです。
8月頃、母は食事をとることができなくなり、私たち兄妹は、看取りという選択をすることになったのです。
日に日に弱っていく母でしたが、コロナ禍であったために、面会は制限されていました。
一週間に一組だけしか面会できないと言われ、私たち家族は、順番に母に会いにいくことにしたのです。
最初は娘と孫と会いに行ったのですが、母は私の娘のことをわからなくなっていて、どなた?誰の子?と怪訝そうな顔をしていましたが、かわいいね~と孫の頭をなでてくれました。
母にとっては二人目のひ孫でした。
最後に母に会いに行ったのは、亡くなる1週間前に、息子と。
残念ながら、息子のことも誰だかわからなかったようです。
食事をとれなくなって2カ月ほどたっていたので、かなり弱っていた母でしたが、施設の決まりによりロビーで面会しました。
もう目もやっとあけている状態で、苦しそうな母に、私は育ててくれてありがとうと伝えました。
亡くなる前日、今度は妹夫婦が会いに行ったのですが、この時も電動車いすにのせられ、ロビーで面会したそうです。
ある職員の方は、もう重篤な状態であるから、部屋で面会しても大丈夫だと言われていたのに、現場の介護ヘルパーさんは決まりだからと言い張り、ロビーに連れてきたそうです。
そんな施設の対応に不信感をもっていた私です。
その日、血圧はどんどん低下し、計測できないほどになっていたのです。
翌朝、母が危篤だと連絡があり、あわてて準備をしていると、15分後くらいに亡くなったと。
兄夫婦も妹夫婦も、臨終には間に合わずに、母は一人で旅立ってしまいました。
特別養護老人ホームの母の部屋にかけつけると、身体はまだ温かく、眠っているようでした。
亡くなる1カ月くらい前に、認知症だった母は急にしっかりして、昔の思い出話をたくさんしたそうです。
子どもたちには、良くしてもらった、感謝していると何度も言ったと聞いて、涙がでました。
介護の押し付け合い、施設に入れた罪悪感、最後の一年は入退院を繰り返しても面会ができなかった罪悪感など、いろいろあったからこそ、母の言葉に安堵したのです。
最後の一年は、コロナ禍で面会もままならなかったけれど、会いに行くと、ありがとう、ありがとうと母は何度も言いました。
現在一人暮らしをしている私ですが、ふと寂しくなることがあり、母の気持ちがようやくわかるようになりました。
兄夫婦と二世帯住宅で暮らしながらも、誰とも話さない日が何日もあったそうです。
家族と暮らしていても孤独だったのです。
そして施設に入ってからも、友達はできたようですが、ほぼ部屋で一人で過ごす毎日が、どれだけ寂しかったことか。
母が元気な時に、もっと会いに行けばよかったと、今更ながら、後悔しています。
それでも母は、私たち子どもに良くしてくれてありがとうと言いながら亡くなっていきました。
終わり良ければ総て良し、母にとっては幸せな最期だったと思いたいです。
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