<この体験記を書いた人>
ペンネーム:マナ
性別:女性
年齢:42
プロフィール:同居から解放され自由に生き始めたワーキングマザーです。
約10年ほど前、当時60歳だった義母、67歳の義母の姉、30歳の義妹が住む家に同居したときの話です。
当時、私は32歳、夫は34歳。
結婚後、私の妊娠が発覚するまでは、義実家から1時間ほど離れたアパートに夫婦2人で住んでいました。
しかし、私が出産を機に退職することになり、自営業を始めたばかりの夫の収入では生活が難しいため、義実家に完全同居することになってしまったのです。
義母は、結婚前からとても気の強い人だということは理解していました。
私は自分のウエディングドレスは自分で作りたい夢があったのですが、裁縫学校を出ている義母から「自分が作る」と言われ、義母が作ったドレスで式を挙げることになりました。
また、私が仕事で疲れてアパートでダラダラしていたら、合鍵を使って義母が義父を連れて上がり込み、自分の家であるかのように説明を始めたこともありました。
義母は常に自分優先で、自分が一番正しいと思っている人なのです。
ずっと一緒にいることは無理だと思っていたので、夫には同居するなら期限を決めてほしいと頼んだのですが...義母との暮らしは予想以上に地獄でした。
義実家は、長年専業主婦だった義母が作り上げたルールで固められていたのです。
まず、洗濯機は二層式が絶対で「これじゃないと汚れが落ちない!」と言い張ります。
最初は二層式なんて使い方が分からず、「何もやらない嫁」と罵られました。
数年後、洗濯機が壊れたのを機に全自動洗濯機を私が購入すると、「使いづらい」「手洗いしてからじゃないと汚れが落ちない」などなど文句ばかりでした。
干し方も細かく決められていて、この場所の洗濯ばさみにはこの人の物を干す、順番はこうと譲らず、干し直されることなど日常茶飯事です。
義母を避けようと早起きして洗濯すると「ずいぶんお早いのね」と嫌味が飛んできます。
また、義母は車の運転ができませんでした。
いつもは義父が義母を乗せていたのですが、義父が他界した後はそれが私の役目になりました。
私は地元から離れて暮らしていたので、月に一度、地元の友人に会うのをとても楽しみにしていました。
しかし、なぜかその日に限って義母が用事を入れてきて「送っていって」と一言。
最初は我慢していたのですが、毎回毎回だとストレスが溜まるので、家族カレンダーを購入し、それぞれの予定を書き込むことにしました。
予定が分かれば頼まれないと思ったのですが、そうすると義母はずっと聞こえるように文句を言い続けるのです。
「送っていってもらえないと困るのよね。バスもないしどうすればいいのよ」
そんな愚痴を、私が「送っていく」と観念するまで言い続けるのです。
つまり、妻に予定があっても自分が優先だから関係ないのです。
結局、いつも私が折れて、義母の運転手をしていました。
子育ても自由にしたかったのですが、すべてが義母の言う通り。
家族3人で出かけたくても必ず義母を誘わなければならず、必ずついて来ます。
実家に遊びに行くと、まだ実家に着いていないのに「何時に帰ってくるの?」と電話がかかってきて、すべての行動を監視管理されていました。
このような生活ではストレスが溜まるので、私は仕事を始めました。
義母から離れる時間が増えたことで、少しは気が楽になったのですが、すべてにおいて義母が優先で、気に入らなければ罵られる日常は変わりませんでした。
そして、ついに同居8年目のある日、私は実家に頭を下げて頭金を借り、引っ越しを強行しました。
両親には関係悪化を避けたくて、義実家でのことを一切話していなかったので、とても驚いていました。
引っ越し当日「お世話になりました」と義母に挨拶すると「本当だよ!」と吐き捨てられました。
運びきれなかった荷物を次の日取りに行くと、玄関先に全部放り投げられていて、部屋には大きな消臭剤が...。
義実家を出てから4年たちますが、それ以来義母とは顔を合わせていません。
家族で戸建てを購入し、二度と同居の心配がなくなり自由に楽しく生きています。
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