20代で結婚、2男1女を授かり、主婦として暮らしてきた中道あんさん。でも50代になると、夫との別居、女性としての身体の変化、母の介護...と、立て続けに「人生の転機」が訪れます。そんな激動の中で見つけた「50代からの人生を前向きに過ごすためのヒント」。
かつてお母様との喧嘩が絶えなかったという中道あんさん。こんなにも気を遣っているのに、なぜこれほどしんどいのだろうか?という悩みを抱えていたのですが...
【前回】体調に変化が起きやすい50代。人生を楽しく過ごすために「気を付けていること」
【最初から読む】仕組みを作って安心。ひとり時間が多い親の見守り/中道あん
人の悩みの多くは「健康」と「お金」と「人間関係」だと思います。
特に人間関係は環境や立場や状況、信頼関係など様々な要因が絡みあって、思いもよらぬことになることもあるでしょう...
例えば、そんなつもりじゃない一言で相手を傷つけてしまったり、怒らせてしまったりなどは誰しも経験があるのではないでしょうか。
逆もしかりですね。
私の母は癇癪持ちで、人が言ったことにいちいち目くじら立てるような人でした。
そのせいで親子喧嘩が絶えませんでした。
怒り始めるのはいつも母のほうで、なんとか誤解を解こうとすると「言い訳がましい」とか「ものごとをすり替えている」とか言って火に油を注ぐよう問題が大きくなります。
お互いに、理解してほしいのに理解されていないということです。
言い換えれば、自分の正しさを相手に認めさせたいという争いです。
母のために気を遣っているのに、なぜこれほどしんどいのだろうか?という悩みをいつも抱えていました。
職場でも些細な誤解から人間関係などのトラブルに発展することはよくあることです。
「そんなつもりじゃないのに」相手から攻撃的な態度を取られたり「もっとこうして欲しいのにしてくれない」という相手への不満が起きたり。
なんとか分かってもらおうとすればするほど状況が悪化するのは、相手が考えるべきことと、自分が考えるべきことを一緒にしてしまっているからです。
そこで大事になってくるのが、スルーする力です。
自分のことをなんとか分かってもらおうと努力せず、違うのであれば「違いますよ」だけでいいし、嫌な言葉を投げかけられたら反応しないことです。
お釈迦様の言葉に「知恵ある者に怒りなし」とあります。
怒りや悪口を受けとらなければ、相手のものであるという教えです。
相手に贈り物をしようとして、受け取ってもらえない場合、それは自分の手に残されたままです。
言葉や態度などもそれと同様。
ブログやSNSでネガティブなコメントをもらうのが怖くて発信できないという相談を受けることは少なくありません。
私は、ブログなどで情報発信しており、時には、どうしたらそんな受け取り方ができるんだろうか?と思うほど批判や中傷的なコメントを寄せられることがあります。
始めのうちは、自分の記事を読み返して、どこが気に障ったんだろう?と考えたり、自分を正当化しようと論破してみたりしましたが、今は完全にスルーしています。
というのも、言葉とは読み手によって解釈はさまざまですので、読者がどう受かとるかは自由です。
中にはあきらかに悪意のあるものもありますが、それはその人の人生なので私とは関係ないことだからです。
若い頃は血気盛んで、「正しさ」や「あるべき」に囚われて、自分の考えを分かってもらおうとしましたが、多くの場合は意味がないと分かりました。
母とは物理的に距離をとったことと、聞き流せるようになったことから、晩年は言い争うこともなくなりました。
歳をとれば怒りっぽくなる人もいますが、私の場合はその逆でずいぶん感情のコントロールができるようになりました。
それは、他人をコントロールするのは無理で、それができるのは自分だけであると分かったからです。
若い頃にこのことに気づいていれば、母との関係性ももっと良かったのではないかと思います。
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