<この体験記を書いた人>
ペンネーム:yumekafu
性別:女性
年齢:64
プロフィール:今、ウォーキングにはまっています。ウォーキング中にひらめきやアイデアが浮かんでくるので、それが楽しみで頑張っています。
2021年暮れ、実母(享年98歳)が亡くなりました。
私の母は、認知症を患うまではいつも穏やかでニコニコしていて、わがままを言ったり怒ったりする姿を見たことがありませんでした。
ところが、認知症の症状が出て3年ほどたった2013年頃から、母(当時90歳)が気難しくなり、気にいらないことがあるとすぐに怒りだすようになってしまったのです。
しかし、母が亡くなる3カ月前、不思議なことがありました。
その頃の母は体調を崩すことが多くて、食事の量は減り、寝ている時間が長くなっていました。
母のことが心配で、毎朝「母が元気になるように!」と祈っていた私。
すると、数日後、祈っている時に「命が延びたよ!」という声が聞こえたような気がしたのです。
私はすぐに母のことだと思い、「お母さんの命が延びたんだ。よかった!」と素直に信じてしまいました。
その頃から母が変わり始めたのです。
食事が進むようになって体調は徐々に良くなり、さらに機嫌まで良くなって、誰かに何かをやってもらうとニコニコして「ありがとう」と言うようになりました。
昔の母を見ているようで嬉しくなりました。
デイサービスのスタッフの方からも、「お母さん元気になりましたね。この頃は笑顔が増えましたよ」と嬉しい報告がありました。
ヘルパーさん(当時50代)も「いつも『ありがとう』と言って、おいしそうに食べてくれるんですよ」と喜んでいました。
わがままな母に困っていたので、本当に嬉しかったです。
母は私のことも思い出してくれて、数年間呼んでもらえなかった名前で呼んでくれるようになりました。
お出かけで車に乗る際も、私の手を握って「里美(仮名)、ありがとうね」と言ってくれるようになったのです。
ある日、定期受診で病院に行ったときのことです。
採血がなかなかうまくいかなくて、何回か注射の打ち直しをしていました。
その頃の母は注射をすると「痛いー!」と叫ぶので、私はヒヤヒヤして見守っていました。
ところが、この日の母は、看護師さんが「もう一回お願いします」と言うたびに「はい」とうなずいて、痛いのを我慢しているのが分かりました。
採血が済んだとき、母は「ありがとう」と言ったのです。
そんな母を見て、私は涙が出てきました。
ヘルパーさんにその話をすると「このまま良くなりそうね。よかったね」と一緒に喜んでくれました。
私もそれがずっと続くと思っていました。
その頃は不思議な言葉のことも忘れていました。
でもその言葉で延びた命には期限があったようなのです。
母が亡くなる10日ほど前、尿路感染症で熱が出たので、入院することになりました。
母は入院してからも比較的元気で、熱もすぐに下がりました。
食欲もあったので、看護師さんも「退院が早まりそうですね」と言ってくれました。
亡くなる前日の夜、食事をたっぷりとってすやすやと寝ている母を見て、私は安心して「また明日ね」と声をかけて家に帰りました。
その翌朝、母は自分の誕生日に眠るように亡くなったのです。
私は、母は体も心も元気なまま天国に行けるように、命を3カ月間延ばしてもらったのかなと思っています。
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