92歳、登紀子ばあば。料理は今も母がお手本/鈴木登紀子さん愛の料理(1)

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「相手を思って作り、相手を思っていただく。すべて母に教わりました」

心からの親しみと、昔ながらのおいしい和食を届けてくれることへの敬意を込めて、"ばあば"。鈴木登紀子さんは、そんな愛称で多くの人に愛される日本最高齢の料理研究家です。『「ばあばの料理」最終講義』(小学館)という著書も出しましたが、その後も料理への熱は冷めやらず、いまも現役。なんと頼もしい人生の先輩でしょう。

もともとはサラリーマンだった、いまは亡き最愛のご主人と3人の子どもの母として、普通の主婦をしていたばあば。やがてお料理上手と近所で話題になり、自宅で料理教室を開いて、道は自然に開けていきました。「基本はおふくろの味よ。幼いころに傍でいつも見ていた、母の手仕事が私の出発点なの」

料理は季節と彩り。 母の料理は本当に美しかった 東北で生まれ、少女のころを過ごした登紀子ばあば。思い出の味を尋ねると、目を細めてお母様が作ってくれた季節の料理を挙げてくれました。

「冬が長いでしょ。そうするとね、春を待ちかねたようにして食卓に出るお料理はあえもの。芽吹いたばかりの青々したわけぎをさっとあえていただく、ぬたです。ぬたは、おみそ味でしょ。とろとろしてるから、沼や田んぼの土の様子から沼田。それで"ぬた"という名前なの。春の初めに体が欲しくなる酸味に、ぴりっとからしを入れて...。よく考えられていると思いますよ」

懐かしい味と、それにまつわる物語。楽しい話は尽きません。「あと、ひな祭りのおすし。たらで作るおぼろがきれいでね。お酒とお砂糖、食紅をちょっと加えるんだけど、それが濃いとだめなの。おてもやん(化粧の頬紅が濃い状態)みたいになったちゃう。母のは、ほんのり春の山のようなピンクよ」

季節が変わって、夏は?「雷豆腐があったわ。粗くほぐした豆腐をごま油で炒めるの。そのときの音が雷さまみたいだから雷豆腐。それ、やってごらんなんさい。あっつあつの雷豆腐をお椀に入れて、汁を張ったおみそ椀もおいしいわよ。夏は旬のしそを上に散らしてね」

お母様の味がすべて始まり...。「私は末っ子で、母が42歳の時の子。いっつも母の傍にいて料理する姿を見ていました。思い出がいっぱいあるから料理が好きになって、いまにつながっているの」

そして秋は実り。写真は、ばあばが心をこめて作ってくれた「秋色ご膳」です。しいたけやかぼちゃなどの実りと、寒さに当たっておいしくなる金目鯛を一尾丸ごと使っています。

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かぼちゃの甘煮、うしほ仕立て(金目鯛のあらとじゅんさい)、さらさあえ、金目鯛のさっと煮、白飯・たたき梅のせ。手書きのメニューを添えて。

「秋色ご膳」の作り方は『毎日が発見』2017年10月号をご覧ください。

次の記事「自分で作った半畳のお座敷で酒のさかなを作っていた母/鈴木登紀子さん愛の料理(2)」はこちら。

  

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<教えてくれた人>
鈴木登紀子(すずき・ときこ)さん
1924年、青森県生まれ。46歳で料理家デビュー。家庭料理と美しい作法を伝える。テレビ「きょうの料理」(NHK・Eテレ)出演は40年を超える。著書多数。
 
この記事は『毎日が発見』2017年10月号に掲載の情報です。

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