『わたくし96歳が語る 16歳の夏 ~1945年8月9日~』

原爆投下 1945年8月9日11時2分〜13時(原爆投下から2時間)

香焼島(こうやぎじま)の工場では船の甲板など大きなものを作っていたようで、工員や旧制中学の男子生徒たちは汗まみれで作業をしていました。何かを削ったりする作業をしていた女学生たちもいたようです。

私は数名の女学生と一緒に、トンネル工場の中で何もせず待機していました。トンネル工場とは、上から見えないようにとトンネルのように掘って作った工場です。しかし、私たちがいたトンネル工場は、少しの機械が置いてあるだけで、それらは動いておらず、倉庫のようになっていました。

女の子たちは今も昔も、どんな時でも明るく過ごすパワーを持っているようです。何もすることがない私たちはそこでおしゃべりをしたり歌ったり、楽しく過ごしていました。

その日、どういうわけか、私は鼻血が出始め、止まらなくなっていました。そんなことは初めてです。心配した友だちが首筋を叩いたりしてくれていました。

その時です。ドーンと爆音がしたかと思うと、もの凄い爆風で私たちはトンネルの奥に飛ばされるように倒れ込みました。あらゆる物が奥に飛ばされました。それが、8月9日の11時2分でした。

私たちは何が起きたのかわからず、怯えて動けず、体を寄せ合っていました。しばらくすると、

「長崎駅が燃えとる!」
「長崎がやられた!」

と叫ぶ声が聞こえました。私たちはトンネル工場を飛び出し、すぐ横にある丘に駆け上がって行きました。

大きなキノコ雲が見えました。その雲は、ゆっくりと崩れ、不気味に変化し始めていました。そして、まるで後光でもさしたかのように金色に光り輝きました。

『わたくし96歳が語る 16歳の夏 ~1945年8月9日~』 19450809_2_1.webp

丘の上からは長崎駅周辺が燃えているように見えました。「家は大丈夫」と思いました。丘にどれくらいの時間いたかはわかりません。やがて「船が出るぞ」という声が聞こえ、丘を駆け下り、真っ先に船に乗り込みました。

汗ばんだ工員や男子生徒でぎゅうぎゅう詰めの中、一緒に乗り込んだ4〜5人の友だちと手を繋ぎ、身を寄せ合っていました。誰も何も言いません。シーンとしたまま船が出発しました。太陽が真上にある時間なのに、海はまるで夕暮れのように暗くなっていました。その海を無言の船がただ揺れながら岸壁に向かいました。

 
※この記事は『わたくし96歳が語る 16歳の夏 ~1945年8月9日~』(森田富美子、森田京子/KADOKAWA)からの抜粋です。
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