夫の遺志を継いで精進料理を精進料理を始めたのは36年前。かつては臨済宗の僧侶で、神奈川県の建長寺などで典座(てんぞ・お寺の台所役)も務めた亡夫・宗哲氏が先生でした。
「精進料理をまったく知らずに育ちましたから、最初は見よう見まね。主人に自然に話を聞くようになり、食べて、私の体と心も変わりました」
二人三脚で自宅を開放して教室を開催。ご主人が亡き後もその遺志を継ぎ、国内から欧州、アジアにも足を運んで料理に込められた思いを広めています。
「精進料理は日本の伝統食のひとつ。食べることは生きることですから、体にムリのないものをね」目線はいつも家族の健康が第一の、そんな一人の女性。だからでしょうか、とてもやさしい味がしました。
道元禅師が伝えた3つの心をかみしめて
精進料理を作る、あるいはいただく上で心掛けるべきことはありますか?
「鎌倉時代、曹洞宗の道元禅師は、『典座教訓』という書の中で料理作法や心構えなどを説いています。私はそれを、食べることを中心とした日常こそが大事であり、修行であるというメッセージと受け止めています」
心構えとは?「"喜心・老心・大心"。喜びの心と、親が子を思うような心で作らせていただく...。大心というのは、疲れて作りたくないときもあるけれど、捉われを捨てて、いつもと変わらぬ平らな心で料理するということ。夫はよく"食は心なり"と言っていました。いまの時代にも十分通用する言葉よね」
食べてしまったら、二度とくり返すことができない料理の味。だから、真心を込めて作る...。「私もそうありたいと思っています」
平安時代に日本に伝わり、不殺生を重んじる仏教思想から、動物性食材を使わない野菜食として始まった精進料理。その心が中心にあるからこそ、長く受け継がれてきたのでしょう。
「36年やっていてもちっとも飽きることがありません。山のもの、海のもの、そして乾物。どれも滋味に富んでいますよね。おばあちゃんも若者も、食べるとみんなほっとするって同じことをおっしゃいます。遺伝子の部分が反応する。これが精進料理の神髄はそれじゃないかしら」
海と山の恵み、乾物で作った秋の3品。高野豆腐の揚げ出し、里いものしらが炒め、なすの辛煮。精進料理では普段は香りの強い食材を使いませんが、ここでは寒さに当たっておいしくなる長ねぎを添えています。
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取材・構成・文/飯田充代 撮影/木下大造
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藤井まり(ふじい・まり)さん
1947年北海道生まれ。神奈川県稲村ケ崎で「不識庵」を主宰。精進料理の指導にあたる。1992年には中国に留学。著書に『旬の禅ごはん』(誠文堂新光舎)ほか。