「病気の名前は、肺がんです」。医師からの突然の告知。しかも一番深刻なステージ4で、抗がん剤治療をしても1年生存率は約30%だった...。2016年9月、50歳でがんの告知を受けた刀根 健さん。残酷な現実を突きつけられても「絶対に生き残る」と決意し、あらゆる治療法を試して必死で生きようとする姿に...感動と賛否が巻き起こった話題の著書『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)より抜粋。過去の掲載で大きな反響があった連載の続編を、今回特別に再掲載します。
※本記事は刀根 健著の書籍『僕は、死なない。』から一部抜粋・編集しました。
※この記事はセンシティブな内容を含みます。ご了承の上、お読みください。
正式に、出版が決まる
2月になった。
新しい原稿はどんどん進んでいた。
すらすらと文字が出てきた。
それはタイプを打つ手が間に合わないほどのスピードだった。
まるで僕がどこかにつながっていて、そこから言葉が降りてきているようだった。
そして、それはとてつもなく心地良かった。
実生活の方では、失業保険の期間がついに終わった。
4月から受給し始めてから約8ヶ月、ついに新しい仕事が見つかることはなかった。
もう自分でやるしか道は残っていなかった。
僕は個人事業主として独立することを決めた。
仕事は全く見えていなかったが、全くと言っていいほど、不安はなかった。
"Being In The Flow(流れのなかにいる)"
これからどんなことが待っているんだろう?
宇宙は僕に、どんなことを用意してくれるんだろう?
2月に入って、すぐに吉尾さんと会うことになった。
僕たちは最寄りの駅の改札で待ち合わせ、近所のコメダ珈琲に入った。
「編集会議、無事通りました。まあ、私は編集長ですし、これは問題ありませんでした」
「そうですか、ありがとうございます。さすがです」
「いえいえ、大変なのはこれからです。この上の企画会議では編集部だけでなく、営業部やマーケティング関連の部署などがみんな出てきて、"この本はどのくらい売れるのか?""採算が合うのか?""どのくらい利益が見込めるのか?"みたいなことで、散々検討されるのです」
「さすが大手は違いますね」
「ええ、まあウチはそういう意味では"売れない本は作らない"という主義みたいなものがありまして...」
「それはビジネスですから、しょうがないというか、当たり前のことですね」
「で、今回の刀根さんの本をどういう形で会議に通すか、いろいろ策を練っているところなんです」
「肺がんステージ4からの生還、というのはそこそこインパクトあると思うのですが...」
「ええ、もちろんインパクトはありますし、大事なところです。しかし、"闘病記"というカテゴリ自体、あまり売れないというか、ベストセラーが出にくいカテゴリなんです」
「そうなんですか?」
「ええ、有名な芸能人やスポーツ選手が書いたがんからの生還記やほかの闘病記なども、思ったほどあまり売れていないのが、実情なんです」
確かに、そういうところもあるかもしれない...。
「そこで、今回の本は、刀根さんの闘病の実録の"体験記"と、刀根さんがその体験で気づいた"法則"みたいなもの、両方を書いたらいいのではないかと思ったのです」
「なるほど...」
「体験だけでも十分にインパクトがあり、読ませることが出来ると思いますが、その体験をした人でなければ分からないこと、刀根さんの体験した"宇宙の法則"みたいなものを書いていただければ、単なる体験記におさまらないものになるのではないかと思ったのです」
「さすがですね...気づきませんでした」
「あまりスピリチュアルに偏りすぎず、かといって刀根さんが体験されたヒーリングや治療など不思議な出来事がたくさんありますので、そのあたりをまとめていただければいいのではないかと思います」
「そうですね、僕はあの体験は"究極の引き寄せ"だと思っていますので、そのあたりも書いたら面白いかもしれません」
「以前弊社でも"引き寄せの法則"という人気シリーズがありました。いまはスピリチュアル系の本はそれほど扱っていませんが、その成功例から見ても、刀根さんの体験をひとつの法則としてまとめるのは面白いんじゃないかと思うんです」
「はい、分かりました。了解です」
僕の中に、モクモクと創作意欲が湧いてきた。
同じ方向を向いている信頼出来る仲間と一緒に仕事をすることって、なんて幸せなんだろう。
エネルギーのロス、ストレスがまったくといっていいほど、ない。
僕は吉尾さんと別れてから、さっそく原稿の続きを書き始めた。
3月1日、最寄りの税務署に赴き、「開業届」を出した。
個人事業主としてこれから経済活動をするために必要な手続きだった。
「開業届」を出す前、自分の「屋号」を考えた。
「屋号」とは会社の名前みたいなもので、これからは自分の名前ではなく「屋号」が僕の仕事を表す総称となる。
古代サンスクリット語に「LEELA(リーラ)」という言葉がある。
意味は「神々の戯(たわむ)れ」という意味。
僕たちは、実はみんな神様なんだけれど、この世界にやってくるときに"自分が神様"だということを"あえて"忘れて、やってくる。
なぜ忘れるかっていうと、自分が"神様"だと知っていたら(覚えていたら)、回答や攻略本を見ながらゲームをやることと同じになってしまう。
それじゃゲームは面白くない。
何も知らない、何も覚えていない、何もわからない、まったく白紙、全くのステイタス"ゼロ"状態から始めるからこそ、ゲームは楽しめる、というのだ。
だから「LEELA」とは、この世界は"神様"が"たわむれ"のために創った世界なんだよ、僕たちはみんな、遊びに来ている神様なんだよ、そういう意味。
僕は自分の屋号を「OFFICE LEELA」とした。
名刺の裏には「人生は、遊びだ」と文字を入れた。
これは深刻になりがちな僕の"自我/エゴ"への自戒を込めた言葉だった。
この言葉を見るたびに、肩の力を抜いて、この世界を遊んでいこう、そう思い出せるように。
約ひと月が経ち、3月になった。
原稿は順調に進んでいた。
第1部の体験編は早くもほとんど書き上がっていた。
僕はその体験編を読み直しながらも、第2部の法則編の原案を練っていた。
吉尾さんから連絡が入った。
「会議に通りました!これで出版できます!」
やった!
さっそく、吉尾さんと会うことになった。
「おめでとうございます。会議に通りましたので、これで晴れて出版することが出来るようになりました」
吉尾さんは嬉しそうに言った。
「こちらこそ、ありがとうございます。本当にありがとうございます。しかし、さすがですね。どうやったのですか?」
「企画を説明したところ、いろいろと手厳しい質問も受けましたが、最後は私の熱意が伝わったようで、無事、通過できました」
「さすがです!頼りになります!」
「いえ、刀根さんの方こそ、すごく筆が速いですね。もうこんなに書いたのですか?」
「ええ、もう、止まらなくて」
僕は笑った。
そう、僕はまるで何かに取り憑かれたようにトイレに行くのも、食事をするのも面倒くさくなる感じるほど、毎日6時間~8時間以上、ぶっ続けで書き続けていた。
「すごいですね、そんなに集中して書けるものなんですね」
吉尾さんが感心したように言った。
「僕はね、書いていると幸せなんです。以前も小説を書いていたとき、本当に幸せでした」
「私もたくさん著者さんを知っていますが、そういう人は珍しいと思います」
「そうなんですか?いや、他の人のことはよく分かりませんが、僕は書いていると、自分がどこかにつながったような気がするんです」
「どこか...ですか?」
「ええ、そのつながったところから、言葉がどんどん降りてくる、みたいな感じです。僕はそれを文字という形に打ち込んでいるだけ、みたいな感覚ですね」
「そうなんですか、不思議な感覚ですね」
「ええ、なんか、書かされている、そんな気がします」
「きっといいものが出来ると思います。この本を必要としている人たちがきっといます。そういう人たちへ、素晴らしい作品を届けましょう。それが私たちの仕事です」
「はい、そうですね。僕は本当に吉尾さんと出会って良かったです。本当にラッキーでした。本当に感謝です」
「いえ、私の方こそ、感謝しています。おそらく本書は、私の編集観を変える一冊になると思います。だから私もほんとうにワクワクしているんです。刀根さんは私を見つけてくれましたし、私も刀根さんを見つけることができました」
「はい、お互いに見つけたんですね」
「それと...刀根さん、もしよろしかったら、刀根さんが以前書かれた小説なども拝見させていただいてよろしいでしょうか?」
「ええ、もちろんです。ぜひとも読んでください」
こうして僕が以前に書いた小説も、吉尾さんに読んでもらうことになった。
以前書いた小説は、出来はイマイチだったかもしれないけれど、がんからの生還を体験した"今"の僕がもういちどリライトをすれば、素晴らしいものに変身するような気もしていた。