「病気の名前は、肺がんです」。医師からの突然の告知。しかも一番深刻なステージ4で、抗がん剤治療をしても1年生存率は約30%だった...。2016年9月、50歳でがんの告知を受けた刀根 健さん。残酷な現実を突きつけられても「絶対に生き残る」と決意し、あらゆる治療法を試して必死で生きようとする姿に...感動と賛否が巻き起こった話題の著書『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)より抜粋。過去の掲載で大きな反響があった連載の続編を、今回特別に再掲載します。
※本記事は刀根 健著の書籍『僕は、死なない。』から一部抜粋・編集しました。
※この記事はセンシティブな内容を含みます。ご了承の上、お読みください。
不思議な治療
8月の中旬、友人の舟橋さんが訪ねてきた。
舟橋さんは、昨年僕が南伊勢で静養していたときに訪ねてきてくれた人で、そのとき僕は伊勢神宮の内宮と外宮を参拝して帰ろうと思っていたのだけれど、舟橋さんの推薦で瀧原宮に行くことにした。
そのあとの瀧原宮での不思議な体験は忘れられないものだった。
舟橋さんはその後、南伊勢在住の河野修一さんのヒーリングである「ビーイング・タッチ」を学び、この不思議な世界に魅せられ、その後、彼の名前"学(まなぶ)"の通り、さらにいろいろな先生の元で学び続けていた。
今回は舟橋さんが最近身につけた新しい術式について話をしてくれるとのことで、僕は待ち合わせの上野駅に向かった。
「こんにちは」
「お久しぶりです、刀根先生」
二人でさっそく喫茶店に入った。
「すごいですね。学び続けているんですね。まさか舟橋さんがこういう世界に来るとは、思ってなかったですよ」
「ええ、僕もそう思います。僕はこういう目に見えない話や世界のことには、なるべく関わらないように距離を取ってきた人間ですからね」
そう、舟橋さんは介護系の会社に務めていて、いくつもの施設や事務所をまとめたり、企画を立案するような偉い立場の人だった。
厚労省から参考モデルとしてヒアリングを受けたこともあったそうだ。
僕と舟橋さんの出会いは心理学だった。
舟橋さんは、僕が教えていた心理学TA(Transactional Analysis交流分析)を学びに、はるばる三重県からやって来た。
そこからつながり、もう10年以上、お付き合いが続いていた。
しかし、その舟橋さんがヒーリングの世界に興味を持ち、それを学ぶようになるとは、僕は予想だにしていなかった。
「今日は刀根先生にぜひ、話を聞いてもらいたいんです」
舟橋さんはそう話すと、新しく学んだ術式について詳しく話し始めた。
僕もがんの治療のとき、山中さんのハンドヒーリングを受けに行ったり、河野さんの「ビーイング・タッチ」を受けたり学んだりしていたので、そういった関連については、全く抵抗がなかった。
舟橋さんはスマホを取り出すと、何枚かの写真を見せてくれた。
そこには左右の太さが違う女性の足が写っていた。
「この女性は、足が痛いということで、僕のところにいらっしゃいました。ほら、右足の方が太いでしょ」
そうだった。
明らかに右足の方が太かった。
「右足に炎症が起こっていて、腫れて太くなっているのです。それで、これがその10分後の写真です」
次の写真は同じ服を着ているのだけれど、明らかに左右の足の太さが同じになっていた。
心持ち赤くなっていた右足が左足と同じ色になっていた。
「治ってますね...これ、10分後なんですか?」
「ええ、そうです。たった10分でこうなりました。痛みも消えたって言ってました」
すごいな...
こんなに即効性があるんだ...
舟橋さんの治療は僕が聞いても"なるほど、効果がありそうだな"と思わせるものだった。
「どうやって、やるんですか?」
「ここじゃ、ちょっと...」
舟橋さんは周囲を見渡すと、困ったように言った。
「ま、基本的には、手を当てるんですけどね」
どうやら、喫茶店では難しいようだった。
それからあれこれ話した後、僕は聞いた。
「舟橋さん、上野の西郷さんって見たことあります?」
「いえ、東京はいつも仕事で行き来しているのですが、観光というかそういうの、したことがないんですよ。実はここも東京のどのあたりなのか、さっぱり分かってないんですよ」
「それじゃ、せっかくですから西郷さんにご挨拶していきましょうよ。このすぐ近くですよ」
「そうなんですね、ええ、行きます」
僕たちは喫茶店を後にして、上野公園に向かった。
公園の階段を上っているときだった。
そのとき僕はまだ肺が完全な状態ではなくて、階段や急な坂道を上ると息苦しかった。
上野公園の西郷さんまでの数十段で、僕は息を切らして立ち止まった。
不意に後ろから舟橋さんの声がした。
「ああ、刀根先生。今、刀根先生の肺は左が20%、右が50%しか機能していませんね。息苦しいでしょう」
「どうして分かるんですか?」
「いや、そういうふうに出てるからです」
見ると舟橋さんが僕の仙骨のあたりに手をかざしていた。
「それで分かるんですか?」
「ええ、分かります」
舟橋さんの言葉に迷いはなかった。
「ちょっと上まで行きましょう。そこで治しましょう」
「ええ、まあ」
僕はまだ半信半疑だった。
階段を上りきると、舟橋さんは僕の後ろに回って、仙骨のあたりに軽く手をかざし、目をつぶった。
心の中で何かを唱えているようだった。
10秒ほどだったろうか、舟橋さんが目を開けていった。
「はい、終わりました。両方とも100に戻しておきましたよ」
「えっ、もう終わったんですか?」
「ええ。どうです?深呼吸してみてください」
僕は言われるまま、大きく息を吸い込んだ。
違う...さっきと全然違う。
気のせいか?
いや、気のせいじゃない、ホントに違う。
酸素がたっぷりと肺に流れ込んできた。
肺活量がさっきと全然違っていた。
きれいで新鮮な空気が肺から全身に行き渡る感覚を、驚きとともに僕は感じていた。
「すごいですね、これ」
「ええ、すごいんですよ、この効果」
僕はその効果を、自分の身体で実感した。
こんなことがあるんだ...
それは僕が今まで体験した中でも、屈指の即効性と実感だった。
「それじゃ、またお会いしましょうね」
西郷さんの前で記念撮影を終えると、舟橋さんは帰っていった。
これ、誰かの役に立たないかな...。
そのとき、僕はクローン病になった総合格闘技の征矢選手の顔が浮かんだ。
でも、どうやって言おうか、信じてもらえるだろうか?