「病気の名前は、肺がんです」。医師からの突然の告知。しかも一番深刻なステージ4で、抗がん剤治療をしても1年生存率は約30%だった...。2016年9月、50歳でがんの告知を受けた刀根 健さん。残酷な現実を突きつけられても「絶対に生き残る」と決意し、あらゆる治療法を試して必死で生きようとする姿に...感動と賛否が巻き起こった話題の著書『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)より抜粋。過去の掲載で大きな反響があった連載の続編を、今回特別に再掲載します。
※本記事は刀根 健著の書籍『僕は、死なない。』から一部抜粋・編集しました。
※この記事はセンシティブな内容を含みます。ご了承の上、お読みください。
がんの人たち
数日後、僕は初めて肺がんの患者会というものに出席した。
友人がこの患者会のスタッフをしていて、そのご縁でお誘いを受けた。
僕もスタッフとしてなにかお手伝いすることがあるかもと思い、スタッフミーティングから参加をすることにした。
ミーティングは主催者の挨拶で始まった。
「最初に自己紹介をしましょう。今日初めてこのミーティングに出られる方も、いらっしゃいますので」
「お名前と、患者本人か、それとも患者さんのご家族なのか、それもお願いします」
一人ひとり、自己紹介が始まった。
「田中です、患者です。ステージは3です」
「吉川です、家族です。夫が肺がんです」
「斉藤です、ステージ1の患者です」
「小林です、ステージ3の患者です」
それを聴いていて、僕はちょっと違和感を感じた。
漢字というのは本当に良くできている。
"患者"という漢字は"心"を"串刺し"にされた"者"と書く。
心に刺さっている串は、"病気"だ。
だから、こういったところでその「病人」意識を刺激するような呼び方で、無意識にでもその意識を助長するような呼び方を使うのはちょっと違和感を感じた。
それは『がん患者』という『集合意識』に強固に接続してしまうことなんじゃないだろうか?
名前だけでいいんじゃないの?
まあでも、自己紹介ならそれを言わなきゃいけないかもな...僕は思い返した。
「刀根です。ステージ4の患者です。よろしくお願いします」
僕は立ち上がって頭を下げた。
口にして感じた。
やっぱり自分のことを患者とは言いたくないな。
言霊(ことだま)というものがある。
「人は、言った通りの人になる」ということわざがあるように、言葉には力がある。
心が串刺しにされていることを、改めて自覚するようなことを口にすると、身体から反発を感じてしまう。
ミーティングが終わり、みんなで会場に移動した。
そこは企業が善意で無償貸与してくれた、きれいな会議室だった。
その日は、肺がんを経験した落語家さんの話を聞いた。
落語家さんは、さすがに話がとても面白かった。
がん経験者の彼は言った。
「笑うことで、免疫力が上がることは証明されているのです。がんにかかると深刻になってしまい、笑顔を忘れがちです。さあ、みなさん口角を上げて笑いましょう。無理やりでもいいんです。わっはっは」
それが終わり、後半のグループシェアになった。
治療方法別のグループに別れ、僕はALKのグループに移動した。
そこには、8人のALK陽性の肺がんの人たちがいた。
「こんなにALKがたくさん集まったの、初めてです。いつもは2人くらいなんですよ」
進行役の女性が笑いながら言った。
「そうですよね、ALK珍しいですからね。私も自分以外のALKの人に会ったの、初めてです」
別の女性が返した。
「男性も珍しいですね。ALKは、ほとんどが女性だと言われているんですよ。東アジアの女性に多い遺伝子だという調査結果が、出ているそうです」
その中の1人が、僕に向かって言った。
「そうなんですか、じゃあ僕は珍しいALKのなかで、さらに珍しいんですね。」
8人の中で、男性は僕一人しかいなかった。
「今日は今の話を聞いて感じたこと、あるいは今思ってること、悩んでいること何でも構いません、みんなに相談してみてください」
進行役の人がうながす。
一人ひとり、順番に自分のがんのストーリーを語りだした。
みんな、全員、不安の渦中にいた。
みんなががん治療についての最新情報や、病気の情報を欲しがっていた。
病気の悪化や再発をとっても恐れていた。
そして、ほとんど全員が肺がんが見つかった後の生体検査ですぐにALK陽性と診断され、すぐにアレセンサの処方を受けがんが改善していた。
僕みたいに標準治療を断って死にそうになったあげく、二つ目の大学病院でALKが見つかったような変わった経緯の人は、一人もいなかった。
不安に支配された雰囲気の中、僕の番になった。
「いやあ、僕はもう治ってしまうつもりです」
みんなが不思議そうに、僕を見た。
「もうすぐ、僕のがんはCT上から完全に消えてしまうと思います。そうして何年かそのままの状態を維持して、いずれはアレセンサもやめてしまおうと思っているんです。ドクターに話したら、それはダメですって言われてしまいましたけど。ははは」
「それは絶対に許してもらえないでしょうね」
進行役の女性が、冗談っぽく笑いながら言った。
僕はその言葉に「そんなこと、あるはずないでしょ」というニュアンスを感じた。
その場所で楽天的なことを言っていたのは、僕一人だった。
良く考えたら、不安があるから患者会に足を運ぶ。
僕みたいにもう大丈夫と思っている人は、そういうところにはほとんど来ないのかもしれない。
それから数日後、ある勉強会に出かけると、休憩時間にスタッフの人からがんの人を紹介された。
僕が肺がんステージ4から生還したことを知って、なにかアドバイスをして欲しいとのことだった。
「こんにちは。僕は肺がんのステージ4Bと言われましたけど、今はほとんど消えました」
「すごいですね。僕は昨年末にすい臓がんのステージ4と言われました。どうやったのですか?」
年齢は俺と同じ位だろうか、白髪が目立つおとなしそうな男性だった。
「一番大きな要因は分子標的薬ですね。ご存知ですか?」
「いえ...。抗がん剤ですか?」
「まあ、その一種ですね。遺伝子に直接作用する新しい薬です。運よく適合しまして」
「すごいですね」
「そういう検査をしましたか?」
「いえ...よく分かりません」
僕も膵臓がんに分子標的薬があるのかどうか、良く知らなかった。
僕は続けた。
「う~ん、でも一番大事なのは気持ちだと思います」
「気持ち、ですか?」
「まず、不安に飲み込まれないこと、医者の言うネガティブなことは受け入れないことです」
「ええ、医者の言葉はきついですからね」
「だめですよ、それを受け入れたら、その通りになっちゃいますから」
「はい」
「それから大事なのは、明け渡しです。サレンダーとも言いますけど」
「明け渡し?サレンダー?」
男性は、その言葉を初めて聞いたのか、ぽかんとしていた。
「う~ん、頑張って頑張って、そしてそれが通用しなくて、その自分じゃもう前に進めなくて、それで降参する、みたいな心境です。僕はこれがあって、初めて次の段階に進んだんだと思いました」
そう、あの体験があって、今の僕がいる。
僕はこのときはじめて、僕が体験した"明け渡し""サレンダー"についてがんの人に話した。
「明け渡し、ですか...」
男性は、全くピンときていない様子だった。
休憩時間が終わりそうになったので「ネットで調べれば少しは出てると思いますよ」僕はそう声かけをして、その場を離れた。
僕は感じた。
たぶん、伝わってない。
これって、本当に大切な事なのに。
もっとちゃんと、伝えられるようになりたい...。