「病気の名前は、肺がんです」。医師からの突然の告知。しかも一番深刻なステージ4で、抗がん剤治療をしても1年生存率は約30%だった...。2016年9月、50歳でがんの告知を受けた刀根 健さん。残酷な現実を突きつけられても「絶対に生き残る」と決意し、あらゆる治療法を試して必死で生きようとする姿に...感動と賛否が巻き起こった話題の著書『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)より抜粋。過去の掲載で大きな反響があった連載の続編を、今回特別に再掲載します。
※本記事は刀根 健著の書籍『僕は、死なない。』から一部抜粋・編集しました。
※この記事はセンシティブな内容を含みます。ご了承の上、お読みください。
【前回】「先週、嫁が息を引き取りました」思わず言葉を失った...ある友人からの報告。
不安からの脱却
3月中旬に書類関係の最終確認のため、会社に行った。
「おかげ様で私物整理も終わりました。ありがとうございました」
「いいのよ。お疲れ様でした」
「本当にお世話になりました。12年間、ですよね」
僕は頭を下げた。
「そうね...」
感慨深そうに、社長がうなづいた。
「まあ、こんな形で辞める事になるとは思わなかったですけど」
「そうね、私もよ。そうそう退職金、きちんとお支払いすることにしました」
「えっ、退職金、頂けるのですか?」
「はい。商工会議所に積み立てていた金額を、そのままお支払いします」
「ありがとうございます。本当に助かります」
「いえ、これは刀根さんが今まで会社にしてくれた貢献に対するお礼です」
その後、退職届を正式に書いて、僕は会社を出た。
これからの生活を考えると、退職金がもらえたことは、本当にありがたかった。
これで僕はどこから見ても、3月末日をもって完全なる無職になる。
しかし...僕の不安は続いていた。
転職活動か...。
僕はずっと講師としてやってきた。
それ以外の新しい仕事なんて出来るんだろうか?
今さら新しい仕事を覚えてやっていけるのだろうか?
どこかの会社に転職して入社するなんて、出来るんだろうか?
がんなる前の僕だったら、出来るんじゃない、やるしかないんだ!
そう思って、すぐエネルギッシュに行動を始めただろう。
しかし、がんを体験して、そういう生き方はうまくいかないということを、僕は学んでいた。
それじゃあ、今までと同じだ。
じゃあいったい、どうすればいいんだろう?
いろいろな人たちからアドバイスをしてもらってはいたけれど、これといった決め手はなく、冷静に考えても不安要素しかなかった。
このままだと、一人で生きていかなきゃいけない
この体調を抱えて、一人で稼いでいかなきゃいけない
安心を約束していた組織から追放され、ひとりぼっちになってしまったように、僕は感じていた。
孤独...いや、ひとりになることの不安。
会社という組織に所属することで得ていた安心感というものを、それがなくなった今、それがどれほど心の安定につながっていたものだったのかということを、僕は今さらながら強く感じていた。
組織や集団に所属するということは、窮屈だけれど安心をもらえる。
組織の中で与えられた役割をこなしていれば、生活や居場所は保障される。
いろいろ文句もあるかもしれないけれど、とりあえず安心だ。
今までは会社組織という集団で経済活動をしていた。
つまり、お金を稼いで生活をしていた。
しかし、僕は今まで所属していた組織からはじき出されてしまった。
これからはたった一人で何とかしていかなくてはならない。
独立して一人でやった時期もあったが、そのときと今の大きな違いは、過去は自分から飛び出したが、今回ははじき出されたということ。
同じシチュエーションでも気持ちは全く違った。
体調もあの頃と全く違う。