「病気の名前は、肺がんです」。医師からの突然の告知。しかも一番深刻なステージ4で、抗がん剤治療をしても1年生存率は約30%だった...。2016年9月、50歳でがんの告知を受けた刀根 健さん。残酷な現実を突きつけられても「絶対に生き残る」と決意し、あらゆる治療法を試して必死で生きようとする姿に...感動と賛否が巻き起こった話題の著書『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)より抜粋。過去の掲載で大きな反響があった連載の続編を、今回特別に再掲載します。
※本記事は刀根 健著の書籍『僕は、死なない。』から一部抜粋・編集しました。
※この記事はセンシティブな内容を含みます。ご了承の上、お読みください。
妄想
11月2日。
僕は約束どおり会社に出かけた。
会社からの話では、とりあえず11月末の退職は少し延期にすること、僕の退職金は休職していたときの税金の支払いなどでほとんど残っていないこと、退職の前に休職していた期間が1年あるので、失業保険は受けられそうもないこと、そして退職した場合は「会社都合」になることが伝えられた。
僕は、それを淡々と告げる社長の話を聞いた。
僕としては年明けの1月からの復帰を要望したが、社長の「考えてみる」と言った表情に明るい兆しを見つけることは出来なかった。
「次は、12月15日に来てください」
帰り道、僕の心の中はネガティブな思考にあふれていた。
今日の話の終わりころ、社長は言った。
「これは刀根さんにとってもいいことだと思うのよ」
「え? いいこと?」
「ええ、刀根さんには、サラリーマン的な働き方は似合わないと思ってたの。創造力があるし、友人も多いし。刀根さんだったら、一人でもやっていけるわよ。そう、これは刀根さんのためだと思うわ」
僕はそれを思い出し、心の中で毒づいた。
僕のため?
何を言ってるんだ。
違うだろ、自分のためだろ。
そう言って切り捨てようとしているんだろ、魂胆が見え見えなんだよ!
僕は使い終わった電化製品が、廃棄されるような気分になっていた。
そんな上っ面な言葉言いやがって。
見え透いてるんだよ。
病気になって使えないやつは、切り捨てるんだろ!
もう信用できない!
心の中で毒づいていると、どんどん気分が悪くなってきた。
目指していたBeing(在り方)なんて、どこかに吹き飛んでしまっていた。
退職金なし。
失業保険も受けられない。
僕はがんの治療で、貯金を使い果たしてしまった。
ほとんど残っていない。
全てが待ったなしだ。
すぐに生活が行き詰まるだろう。
これからどうやって、生活を成り立たせていくことができるのだろう?
いや、生活していけるのか?
見上げた空は、どんよりと曇ったまま、明るくなる兆しが見えなかった。
「明け渡し」だ!
「サレンダー」だ!
と頭の中で声がしたけれど、いっこうに気分は晴れなかった。
先月の社長からの退職勧告から、体調がみるみるうちに悪くなった。
一時は軽減していたダルさが、どんどん戻ってきた。
11月に入るとそれに頭痛が加わった。
胸のチクチクが強くなり、ズキズキに変わってきた。
右目の視野が前みたいに暗くなってきた。
そして、また咳も出てきた。
まずい...。
確実に悪くなっている。
原因はすぐに分かった。ストレスだ。
仕事を失うことによる生活の不安、将来の不安が確実に僕のメンタルを蝕んでいた。
退院してからの心地よい心境は、完全に吹き飛んでいた。
どうする?
どうやって生活する?
がんも治りきっていないのに、この先、生きていけるだろうか?
気がつくと、その思いが頭の中に渦巻いていた。
若いころ一度独立したことがあった。
その仕事は結局うまくいかなかった。
あのとき、仕事がなくてどうすることもできず、河川敷で呆然と流れる川を眺めていたときのことを、思い出した。
あのときみたいになりたくない、いやだ、絶対にいやだ。
その恐れをさらに増幅させるように、頭の中には怒りが渦巻いていた。それは社長に対するものだった。
こんな状態の社員を切り捨てるなんて、絶対に許せない。
肺がんステージ4からやっとこさ生還してきた社員を、こうも簡単に切り捨てるのか?
僕が社長なら、絶対にそんなことはしない。
逆にその社員が復帰できるように手厚く迎えるだろう。
僕が社長なら...でも残念ながら、僕は社長じゃなかった。
がんを宣告されたときみたいに、同じ映像が頭の中を支配した。
しかもそれは事実ではなく、僕の恨みや怒りによってかなり歪められたものだった。
社長が言っていなかったこと、社長がしなかったことまで、僕の妄想は勝手に映像を作り出していた。
「どうして僕がクビになんですか」
「だってしょうがないじゃない」社長が笑う。(本当は笑ってなんてない)
「笑うな! しょうがないじゃないでしょ。あなたそれでも血の通った人間ですか!!」
「でも規約で決まってることだから、クビはクビなのよ」(そんなこと、ひとことも言ってない)
「そんなの社長の一存でどうにでもなるじゃないですか、ようはクビにしたいんでしょ、僕を!」
「そんなことないけど、しょうがないのよ、ははは」(社長は笑ってなんてない)
頭の中の妄想の言い争いはいつまでも続いた。
それはきりがなかった。
風呂に入っているとき、歯磨きしているとき、布団に入るとき...僕は自分が作り出す社長の冷酷な言葉に取りつかれていた。
気づくと、とてつもない疲労感と怒りの残渣が襲ってきて身体中がぐったりとなった。
こんなことをしていたら、きっと身体が持たない...。
僕は自分の中に巻き起こる言い争いに囚われ、疲れきってしまった。
2週間ほどたったあるとき、ふと気づいた。
こんなことしていても、意味はない。
そう、頭の中で社長と延々と言い争いをしていても、疲れるだけでまったく意味がないんだ。
気づいた瞬間、二人の僕が言い争っている姿が観えた。
一人は社長に裏切られたと叫んでいる僕、もう一人は社長の役をやっている僕だった。
二人とも僕だった。
僕は僕の頭の中で社長を演じていた。
僕はその社長に文句を言い続け、今度は僕が社長になってまた言い返す、そんなやりとりを延々と続けていたのだった。
無駄...。
なんて無意味なことをしていたんだろう。
頭の中で言い争っても何の進展もメリットもないし、疲れるだけ。
エネルギーの無駄づかい。
これは自爆だ。
これは、自分で作り出していた苦しみなんだ。
僕は自分の頭の中でドラマを作り出し、それを演じて苦しみを作り出し、さらにそれに燃料を補給し続けて、苦しみを燃え上がらせ続けていただけだった。
そういえば「天国も地獄も、自分の中にある」という言葉を聞いたことがあった。
確かに僕の中に地獄はあった。
それは僕の妄想が作り出した地獄だった。
社長はそんなひどいことは言っていないし、そんな冷酷に笑ってなんかいない。
それは僕が勝手に作り上げた妄想だった。
ここから抜けよう。
自分の中に作り出した地獄なんだから、自分で抜けられるはず。
そうだ、頭の中で社長と話さなければいいんだ。
頭の中に社長が出てきて話し始めたら、映像をぶっつり切って、別のことを考えよう。
そこに燃料を投入するのをいっさいやめよう。
こうしてやっと、僕はこの妄想から解放された。
しかし、体調不良からくる再発の恐れは、消えることはなかった。