「病気の名前は、肺がんです」。医師からの突然の告知。しかも一番深刻なステージ4で、抗がん剤治療をしても1年生存率は約30%だった...。2016年9月、50歳でがんの告知を受けた刀根 健さん。残酷な現実を突きつけられても「絶対に生き残る」と決意し、あらゆる治療法を試して必死で生きようとする姿に...感動と賛否が巻き起こった話題の著書『僕は、死なない。』(SBクリエイティブ)より抜粋。過去の掲載で大きな反響があった連載の続編を、今回特別に再掲載します。
※本記事は刀根 健著の書籍『僕は、死なない。』から一部抜粋・編集しました。
※この記事はセンシティブな内容を含みます。ご了承の上、お読みください。
僕は、2016年9月1日に見つかったステージ4の肺がんから、紆余曲折を経てなんとか生還することが出来ました(その話は前著『僕は、死なない。』をご参照ください)。
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その生還の旅で僕は「自分を明け渡すこと」「サレンダーすること」とはどういうことで、それが出来た時に奇跡的なことが起こりえる、ということを学びました。
しかし僕の魂はがんからの生還だけでなく、次の計画を用意していたようなのです。
僕の魂は「がんからの生還」ということからさらに一歩踏み込んで、日常生活の中で"明け渡すこと""サレンダーすること"を僕に要求してきました。
当初穏やかに過ごせていたのは最初の三か月ほどで、僕は次の「学びの場」に引きずり出されることになりました。
僕はそんなことはちっとも気づいていなかったし、出来ればそんなことは経験したくなかったのだけれど...。
これはがんからの生還の後に起こった、僕の次の魂の計画による出来事のノンフィクションです。
本当の体調
2017年7月20日、退院してすぐに出かけた南伊勢から帰った2日後の診察で、全身に広がっていた僕のがんはほとんど消え去っていた。
南伊勢の清浄な"気"の中で過ごしたおかげだろうか、僕はまるで生まれ変わったみたいに新鮮な気持ちになっていた。
CTでは左肺の原発がんが8分の1程度になり、他に転移していたがんもほとんど写らないレベルにまで消え去っていた。
しかし、血液データによる肝臓の数値を示すASTとALTが基準値を大幅に超えていたので、僕が飲む抗がん剤である分子標的薬アレセンサの服用を一時的に止めることになった。
それから1週間後の27日、再び東大病院に行き、血液検査とレントゲンを撮ってから主治医の井上先生に診察してもらった。
「ずいぶん下がりましたね」
井上先生は安心したように言った。
ASTとALTの数値は両方ともまだ基準値を超えていたものの、かなり下がっていた。
「アレセンサ、再開しましょう。ただし、量を半分にして、しばらく数値の様子を見てみましょう」
「ありがとうございます。嬉しいです。で、腫瘍マーカーとか他の数値はどうなってます?」
井上先生は血液検査が書かれた紙を僕の前に出すと、赤ボールペンでALP、CEA、KL-6と書かれていた部分の数値に赤丸をつけた。
「はい、腫瘍マーカーのCEAは月に1回しか採れません。前回20日に採っていますから、今回は採っていません。ですので、他の数値をお伝えしますね」
「はい」
「骨と肝転移の指標として使っているALPは、6月は1293、前回7月20日は818、今回は536でした。肺腺がんの指標として使っているKL-6も、6月は2541、前回1551、今回は1157と顕著に下がっています。両方ともまだ基準値を超えていますが、このひと月半で順調に良くなっていると思います」
「えっと、基準値はどこ見るんでしたっけ?」
「あ、はい、数値の横の欄ですね」
井上先生はそう言うと赤丸がついた数値の横をボールペンで指した。
「ですからALPは基準値322のところ現在は536、KL-6は基準値500のところ1157です。この調子ですと、数ヶ月以内に基準値に入るでしょう」
「アレセンサを飲まなくても数値が下がっているのですね」
「まあ、お薬が相当良く、効き続いていると思われます。良かったですね、順調です」
井上先生の言葉を聞きながらも、僕はアレセンサだけの効果ではないんだけど...と思った。
「えっと、それからデカドロンは終わりにしましょう」
「デカドロン?...、あ、ステロイドでしたよね」
「ええ。先日のCTで脳の腫れがほとんどなくなっていますので、もう飲まなくてもいいでしょう」
「そうなんですね、嬉しいです」
「お薬というのはずっと飲み続けると、身体がそれを作る仕事をサボって機能しなくなってしまうのです。ですから止められるときは早めに止めて、身体の機能を回復させた方がいいと思います」
「なるほど、そうなんですね」
ステロイド...僕はこの言葉について筋肉増強剤やドーピング、あるいはそれによる副作用などネガティブなイメージが強かった。
そうか、ステロイドを止めることができるんだ、よっしゃ、これでまた一歩前進だな。
それから井上先生は体内酸素濃度を測ってから、聴診器で呼吸音を聞いた。
「はい、問題ありません。それではランマークの注射をして今日は終わりです」
「ランマーク...ああ、カルシウムの注射ですね」
ランマークの注射とは、主にがんが骨に転移して骨が溶けてしまった人の骨を再生するための薬剤で、ひと月に1回皮下注射していた。
「じゃ、次回は2週間後の8月10日に予約を入れておきますね。そのときまた肝臓の数値を計ってみて、正常値に入っていたら、アレセンサを通常の量に戻しましょう」
「分かりました。いつもありがとうございます」
いつもの精算時の大混雑を終えた後、僕は病院を後にした。
アレセンサがなくても、このまま治ってしまうんじゃないだろうか。
少し湿った暖かい夏の風が、回復を祝福しているように、僕は感じた。
同じ頃、同じ東大病院で眼科の診察を受けた。
がん専門病院から派遣されているドクターは、暗視カメラみたいなちょっとカッコいいスコープで、ひととおり僕の左右の目の中を覗いた後、こう言った。
「視力が落ちてますね。放射線やりましょう。放射線」
この先生、よっぽど放射線やりたいんだな。
僕は聞いた。
「やったほうがいいですかね」
「ウチの病院だったらやりますね、このくらいだったら普通に」
「いや、でも今、分子標的薬を飲んでいるんですけど」
「でもね、それどのくらい効くか分からないでしょ。私もそういう人、今までいっぱい見てるから。そういう人も含めて普通はやるレベルですよ、放射線」
「でも先生、僕は50個のがん細胞からALKが50個全部見つかったんです。だから結構効くはずなんですけど」
「ほう、適合率100%だったんだ。すごいね。じゃあもうしばらく様子を見てみましょうか。少しでも腫瘍が大きくなるようだったらやりますからね、放射線」
「はい、そうですね...」
それから数日後のことだった。
朝、布団から起きると身体が異様に重い。
まるで鉛のようだ。
なんだ、このダルさは?
まるで入院前、がんが全身に転移していたときに感じたようなダルさだった。
嫌な予感がした。
早くも再発したのか?
いや、そんなはずはない。
10日ほど前にCTを撮ったばっかりじゃないか。
あのCTではがんは消えていたんだ。
そんなはことはあり得ない。
僕は不安な気持ちを必死で打ち消した。
体力を使って疲れたのか?
いや、どこにも行ってないし...。
ネガティブな思考が右往左往する。
そして僕は、はた、と気づいた。
そうか、ステロイドを止めたからだ!
間違いない、今まで元気だったのはステロイドのおかげだったんだ。
うむむ...この鉛のような身体の重さが本来の僕の体調だったということなのか。
まだまだ全然回復してないんだ。
僕は自分の身体の本当の姿に愕然とした。
そうか、僕の身体は爆撃直後の市街地みたいなもので、がんという火は消えたけれど、街は廃墟になってボロボロなんだ。
まだまだ過信しちゃいけない。
ボロボロの身体を受け入れなくてはいけないんだ。
妻の「絶対に無理しないのよ。まだまだ病人なんだから」という言葉を思い出した。
そうだ、その通りだ。
ダルさを引きずるように起き上がり、洗面所で顔を洗うと、鏡に写った自分の顔が見えた。
そこにはダルそうな目をした、モヒカン頭の僕が写っていた。
僕の頭は放射線を受けた部分だけ髪の毛が生えてこないので、まるで「北斗の拳」や「マッドマックス」に出てくる、やられ役のザコキャラのようになっていた。
僕は自分の顔を見た。
すごい髪型だな...。
これじゃ、怪しすぎる...。
そういえば、宅配便のお兄さんが僕が玄関から出るたびに、不審そうな、警戒するような変な顔をしていたっけ。
僕は頭を戸棚からバリカンを取り出し、短く刈り上げると、さらにひげそりでつるつるに仕上げた。
よし、これで入院中と同じお坊さんになったぞ。
誰か来たときにかぶるため、玄関に帽子を置いておこう。
これからはこの体調と付き合いながらも、少しづつ回復を目指していけばいいんだ。
僕はつるつるになった頭をペチペチと叩きながら、自分の顔を見て、にっこりと笑った。