プライバシーがなかった嫁ぎ先での暮らしでノイローゼ気味に

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ペンネーム:鞠果
性別:女
年齢:52
プロフィール:両親は既に他界し、実家はありません。全力で両親の介護をしてきました。望んだわけではありませんが、現在、ひとり暮らしです。

私と夫は、共に25歳で結婚をしました。舅は55歳、姑は52歳の時でした。当時はバブルの崩壊直後でしたが、平成といえども昭和の名残が強く残る時代。長男の嫁は同居が当たり前といった風潮でした。新居をどうするか2人で考える事は許されず、婚約期間中に私の知らないところで、同居のため夫の実家のリフォームが始まっていました。25歳といっても、いま思うとまだまだ子供です。私は、家賃を払わなくてよかったと思い、同居の不安など微塵もありませんでした。私はそれまで、親に逆らった事は1度もありませんでしたし、ましてこれから舅、姑になる方の好意をありがたく受け取るのが当然だと思っていました。

ところが、親との同居が始まって1カ月もたたないうちに、私のストレスは最大に達していました。姑は、よくいえば朗らか、悪くいうと無神経な方。例えば私の入浴中に浴室のドアを開ける、何時であろうと私たちの部屋にノックもなしに入ってくる、私の留守中に婚礼ダンスを勝手に開け、花嫁道具の着物を親戚に見せるなどプライバシーのかけらもなく、私はノイローゼ気味になってしまいました。

舅と姑は喫茶店を経営しており、生活のリズムがサラリーマンである夫と私とは大きく異なっていたのも辛いところでした。私は毎朝6時には起床し、夫と自分の朝食とお弁当を作り出社。帰宅後は洗濯物の取り込みと家族全員の夕食をつくり、9時過ぎに夕食の片付けと洗濯等の家事が終了する生活で、ほっとする時間は夜11時過ぎ。翌朝に備えて早く寝たいところなのですが、舅と姑が帰宅するのは夜12時を回っていて、彼らが寝る深夜2時過ぎまで起きていなくてはなりませんでした。

生活習慣の違いは休日にまで及びました。私は、休日の午前中は洗濯と掃除をはやく済ませて外出したかったのですが、朝が遅い姑から午前10時の外出に、「そんなに早くどこへ行くのか」と嫌味を言われることも度々。私にしてみたら朝10時は決して早い時間ではありません。でも言い返すことはできませんでした。10時までは生活音を出す事を控えるようにと言われていたので、掃除や洗濯が終了するのは昼過ぎでした。まるで目に見えない糸でがんじがらめにされているようでした。

そんな生活が3年続いたのですが、夫が転勤となり私も家を離れることになりました。3年後再び地元に戻ってくることになりましたが、その時は同居はしませんでした。同居せずにすんで心の底からホッとしました。

義理の両親との同居は、それまで暮らしてきた環境や生活リズムが違うので、かなりの努力が必要になります。暮らしてみなければわからないことがたくさんあります。見栄や体裁で同居し、ストレスを抱えて暮らすより、私は、別居してのびのびと笑顔で暮らし、親が年老いて介護が必要になった時に同居するのが、一番賢い選択なのではないかと思いました。

いま私は、同居当初の姑の年齢になりました。子供は、私が結婚した年齢になりました。いつになるかわかりませんが子供たちが結婚する時には、自分の経験を踏まえ別居を提案しようと思います。寂しいとは思いますが、仲良くしていくためには寂しさを我慢することが必要なのだと思います。

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
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