最期までお母さんらしい生き方だったね。ありがとう。何もできなくてごめんね...<後編>

「認知症になった母は施設に入所していました。でも、果たしてこの選択が正解だったのか、何かできることがあったのではと今でも考えてしまいます。最期まで母らしい笑顔と生き方を見せてくれた母に、娘の私が心から伝えたいこととは...」

最期までお母さんらしい生き方だったね。ありがとう。何もできなくてごめんね...<後編> 14.jpg

■母の最期の様子は...

もともと肺が丈夫ではなかったのですが、持病の影響もあり、目に見えて体力が落ちていき、歩いてトイレに行くのもやっと。

酸素を使っていましたが、それでもハアハアと苦しそうにしている時間が増えました。

そんなとき、施設から連絡があり母は入院することになりました。

施設の方から、もっとわがままを言っていいんだよと常々言われていた母が、その日の朝「もうだめ」と言ったそうです。

そこから救急搬送されて入院、一時は良くなり退院後の生活の話をしていたのに急変し、亡くなりました。

最期の日の午後、お見舞いに行きました。

そのとき「大丈夫?」と私が声をかけると母はささやき声で「バッチリだ」と言いました。

見た目には全然バッチリではないけれど、そう言っていました。

「今日はとってもいい天気で、空は青空だよ」と語りかけると、起き上がれないけどのほうを眺めて、小さく頷いていました。

「また来るからね」。

母の布団の手元が少し動いていました。

布団の中で手を振ってバイバイしてくれていました。

その日の夜10時ころ、病院から連絡がきて駆けつけると、母はすでに亡くなっていました。

午後9時半の見回りのときには寝ていたということだったので、寝ているうちに心臓が止まったのだと思います。

本当に安らかでまだ寝ているようでした。

最期までお母さんらしい生き方でした。

何もできなくてごめんね、ありがとうお母さん。

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