最期までお母さんらしい生き方だったね。ありがとう。何もできなくてごめんね...<前編>

「認知症になった母の介護をどうするか...。母は私たち姉妹の家を行き来しながら暮らしたいようでした。しかし、2人とも仕事を持っているので、母を1人にしてしまいます。考えた末、施設に入居することに決めました。でも、この選択は正しかったのでしょうか...」

最期までお母さんらしい生き方だったね。ありがとう。何もできなくてごめんね...<前編> 14.jpg

■施設に入所する母の楽しみは娘の家でのお泊まり

遠方に住んでいた母を私たち娘が住む町に連れてきてほぼ2年、母が亡くなりました。

認知症の症状に気付いたのは6年ほど前。

それから父が急死し、生活がガラッと変わりました。

最初に地元を離れるとき、母は私たち姉妹の家を行き来しながら暮らしていきたいと言っていました。

でも2人とも仕事があるので、母を1人にしてしまいます。

ですので施設に入居することを決めたのですが、今思えば、もしかしたら家で一緒に暮らすこともできたのかもしれないと思ったりもします。

もっとなにか知恵を絞っていたら、母の望みをかなえてあげられたのかもしれない、違った暮らし方ができたのかもしれない、と。

母は施設に入ってからもしばらくは「そろそろ帰ろうかと思うんだ」とか「お父さんはどうしてる?」と言っていました。

でも、父はすでに亡くなっており、施設はショートステイではなく住宅としての入居。

毎回初めてのように母に説明し、そのたび「あらそう」と言っては、また次の日同じことを聞いてくる母でした。

時々、施設から私のうちに「お泊まりするよ」と言うと、とてもうれしそうにしてくれたのを思い出します。

うちに泊まったからといって何か特別なことをするわけではありません。

母が好きだったものを思い出しながら、ご飯を作るくらいのことしかできません。

そんなお泊まりでしたが、初めのころは、母は私がまだ寝ている間に起きて、知らないうちにご飯を炊いてくれました。

母にはお米がどこにあるとかうちの台所のことは何も教えていません。

それなのに「ご飯が炊けたよ」と私を起こしにきた母にびっくりしながらも、ああ、まだ認知症でも大丈夫だと思ったことがまるで昨日のことのようです。

母の体調が良さそうなときには、植物園にお花を見に行ったりしました。

いつも母を喜ばせたくて、笑っていてほしくて、できることを探していました。

やがて母は肺の具合が急激に悪くなって車椅子の生活になってしまいました。

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
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