死の床で「離婚して家を出た私」を包んでくれたオーストラリア人義父。「最後の約束」は<前編>

「今は離婚していますが、私は10年前までオーストラリア人の夫の実家で暮らしていました。義父はユーモアがあり、心の広い人で、私は大好きでした。義父も私のことを娘のように可愛がってくれました。しかし、色々な問題があり、私と夫は離婚することになりました。そして、ちょうどそのころ、義父にがんが見つかって治療を始めることになったのです」

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■離婚と同時に始まった義父のがん治療。私は家を出ることに

今年、義父が亡くなって10年になりました。

私は46歳まで、オーストラリアに住んでいました。

義家族はオーストラリア人。

秋の夜長に物思いにふけりながらウイスキーを飲んでいたら、よく一緒にウイスキーをちびちび飲みながら語り合っていた義父のことを思い出したんです。

私は27歳で婚約したのですが、生活費節約のため義実家に同居させてもらっていたこともあり、嫁というより娘のように可愛がってもらってました。

生真面目な義母との付き合いは緊張感がありましたが、義父はユーモラス、何があっても笑いに変えてくれる心の広い素敵な人で、私は義父の大ファンでした。

まだ海外の生活に慣れなかった私にいろんなことを教えてくれて、私が作る日本食をいつも喜んで食べてくれたものです。

10年前に、私はいろんな理由から離婚を決めたのですが、その時、義父はガン宣告を受けて治療を始めていたんです。

それまでの自分なら、絶対に大好きな義父を置いて自分勝手なことなんてしなかったはずです。

それなのに、人生で一回だけタガが外れてしまっていた当時の私は、義父のことなどお構いなしに家を飛び出して欧州に行ってしまったのです。

数カ月後、元旦那から義父がどうしても私に会って話しておきたいことがあるから来て欲しいと連絡を受けました。

挨拶もできずに出てしまった不届き者の嫁で、正直なところ、会うのは怖かったです。

だけどそう長くはないと言われたらしい義父にもう一度だけ会いたくて、片道25時間の飛行時間をかけて恐る恐る駆け付けました。

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
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