「あんたはいいわよね」がんの父を看病する私に言い放った母。私が心の中で「絶叫した言葉」<前編>

「感情の起伏が激しい母を怒らせまいと、小さいときから母の言いなりになって生きてきました。結婚を機にようやく母と距離を置き、穏やかな生活を送っていたのですが...。今年の春、ショックなことが起きてしまったのです」

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■「毒母」に叱られることが嫌で自分の気持ちを封印してきた人生

物心ついたときから、よその家と比べて自分の母親は厳しいなぁ、と思っていました。

母は小さな事で激昂して、一度お説教が始まると1時間でも2時間でも私を立たせたままで叱ります。

口を挟んだり反論したりすると、その分時間が延びるだけ。

ひたすら怒鳴られながら時が過ぎるのを待つ、という苦痛な時間を多く過ごしていました。

決して根っからの性悪ではないと思うのですが、母はとにかく「自分の考えが絶対」な人で、周囲の意見に耳を傾けません。

自分の思い通りにならないとまた長時間のお説教が始まります。

いつの頃からか、家族の中で母に逆らう人間はいなくなり、ただ母の怒りが静まるのを待つ、または怒らせないように自分の意見を曲げてでも母に従う、そういった生活を、家族皆がするようになりました。

特に私は、同性だからか怒りの矛先を向けられる事が多く、「自分の思い」よりも「母に叱られる」方が嫌で、母親の言うなりになっていました。

やりたい習い事があっても口には出さず、友達からショッピングに誘われても「行くな」と言われるのがわかっているので最初から断り、彼氏が出来ても反対されれば別れる...。

そんな調子で進学も、就職も、挙句の果てには結婚相手も母が気に入る通りの選択をしてきました。

結婚した相手は転勤族なので全国を転々としていますが、おかげで母と距離を持って付き合えるので、これはこれでホッとしていました。

でも今年の春、私にとって心からショックなことが起こりました。

父ががんを患っていることが判明したのです。

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