昔から母が嫌いだった...離婚の話し合いで私を責め、今では「生存確認」するだけの仲に<後編>

「息子2人を連れ、現在の夫と暮らし始めて8年目になります。私は昔から母に強い不信感がありました。前の夫と離婚する際、味方になってくれなかった母。その溝は埋められないまま、現在に至ります。母も高齢になり、せめて電話でもと思いますが、それすらもできない自分がいます」

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■離婚成立後、再婚の時も母に反対され...

そこでは4人が離婚に反対をし、私一人が離婚したいと主張。

双方の意見は平行線でした。

私は、話も進まず味方も得られず、ただ説得されることに納得がいきませんでした。

「子どもが20歳になるまでは夫婦でいてほしい」とか、夫は「義両親のいる実家で生活するから」など様々な条件を打診されましたが、母は相手方都合の主張を受け入れるばかり。

私のメンタルがどうなるか想像できないのでしょうか。

思春期を迎える息子たちの1~2年は、大人の時間軸とは違うほどのはやさで流れます。

ただでさえ大人の都合で息子たちには申し訳ないと思っているのに、曖昧な家族関係を維持することで心に問題を抱えてしまうのは絶対避けたく、私は離婚を譲りたくありませんでした。

しかし世間体を気にしたり、私が我慢すれば済むなどと言われるだけで、交渉は決裂となりました。

その後、私は離婚の調停を申し立てし、無事に成立しました。

申し立てしたときも勝手に話を進めるなと母には言われましたが、離婚を反対されてるのに、調停にもちこむことを相談するわけないでしょうに。

その頃までには自分にも耐性がついてきたので、いちいち感情的に取り合いませんでした。

そののち再婚するときにも、もちろん反対されました。

「もう再婚するのか、まだ早いではないか」などこれまた言い出したら止まりません。

どんなことも事後報告する私のことが憎いくらいだったのでしょう。

以降、しばらく母とは距離を置くことになりました。

ふと自分の家族にも祝福されない結婚なんだなとわだかまりも感じましたが、承知の上です。けれど時間がたち母も落ち着いたのでしょう。

現在の夫のほうが以前の夫より良いねと言い出しました。

そんなことを言われて私がどう思うかなど考えない母に対して、不信感がつのるばかりです。

母も高齢になり、たまには生存確認の電話くらいしなければいけないのでしょうが、その電話すらかけることが未だにできずにいます。

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
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