「親が死んでよかったと思う日がくるなんて...」認知症の母を怒鳴り酒浸りの「父の最期」<前編>

「50代のパート主婦です。遠距離に住む父と母の介護が悩みの種でした。認知症の母に家事は母任せの父。父は昔から気難しいところがあって...」

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■母が認知症になってから、遠隔で父のケアをしていたのだが

78歳で亡くなった私の父は、私が幼いころから気難しい人でした。

人を信じず、いつも不満を口にしている、そんな印象です。

いつも機嫌が悪くて、私と妹がふざけて笑っていると、うるさいと怒鳴るのが日常でした。

小学生の頃、父の日にライターと灰皿をプレゼントしたことがありました。

喜んでくれるかなぁとわくわくしていたら「なんだこんなもん!」と言ったきり。

話が通じない人というか、独自の考えの中で生きている人という感じです。

その頃から、なんだか親子の関係をあきらめるような気持ちが私と妹には芽生えました。 

そんな父でも、仕事をリタイヤして自分の趣味が自由にできるようになった時期には、少し性格も穏やかになってきていました。

ただ、そんな穏やかな暮らしは長く続きませんでした。母が認知症になってしまったのです。

うちの実家は、母によってまわっている家でした。

日々の暮らしの様々なことが母の手にかかっていました。

金銭管理、保険の手続きや車検、家のメンテナンス、近所づきあい等々を母ができなくなってからは、父がやらなければならない状況になりました。

父は自分でお金をおろしたこともない人です。

私達娘は離れて暮らしているので、日々の生活を直接支えることはできません。

それでも事務的な手続きは帰った時にまとめてやったりしてきました。

介護認定の手続きや訪問看護の手配もやりました。

少しでも助けになればと思っていたのです。

最初の頃は薬の飲み忘れがあるというので、毎日電話をして確認するということになりました。

でも父はそれがおもしろくなかったようで、遠回しに電話してこなくていいと言ってきました。

お前も忙しいのだから、毎日電話などしなくてもいいぞと。

私は言葉通りに受け取ったので、「私のことは気にしないで。毎日電話するね」と言って電話していたのですが、後にケアマネさんや周りの親戚に話を聞くと、私から電話がくるのは迷惑だと話していたそうです。

良かれと思ってやっていたことが迷惑といわれる理不尽さ。

そのくせ自分に何か聞いてほしいことや言いたいことがあると、昼夜を問わず電話をかけてくる父です。

父からの毎日の電話は、もう恐怖になっていました。

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
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