「私の中の何かがプツンと切れて」ヒステリックに人格否定する「毒母」から逃げる決心をした日<後編>

「ヒステリックに人格否定する『毒母』に育てられた私。結婚後も母の影響を受けています。このままでは私の人生がなくなってしまう気がして...。私は母との今後について、ある決心をしました」

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■母と距離を置いた現在は...

母に相談したところ、「仕事を続けられるよう、あなたのためにこんなに手伝ってきたのに!」と想像していなかったほどヒステリックに嘆かれました。

そのころは「母が重い」「毒親」などの言葉を知るようになり、もしかして自分の母親もそうではないかと記事を読み漁っていた時期でした。

「あなたのため」というワードが、まさに我が子をコントロールしたい親が自分の考えを押し付け、自分を正当化するために使う言葉だと知ったばかりです。

ヒステリックに叫んだ母の横で私は冷静に、(あ、それ言っちゃうんだ。やっぱりそうだったんだ)と思いました。

プチンと何か私の中ではじけました。

このままでは何もかも母の言う通りに動く人生になってしまう。

もう相談はしない。

必要がある時だけ連絡を取ろうと、物理的にも心理的にも距離を置くことを決めました。

仕事を続ける=母のサポート(来訪)が続くので、まずは、仕事を辞めるまでの段取りです。

すぐには辞められなかったので、仕事を減らし自宅に来てもらう時間を減らすことからはじめました。

そして、辞める際はもう相談はしませんでした。

私の家族は夫と子供たち。

母の意見を取り入れて縛られる必要はありません。

また、もともと実家の近所で家を買う予定でしたが、会う頻度が高いと何かと衝突するので、少し距離のあるところに家を決め「なるべく会わない」という選択をとりました。

自分の未来は自分で決める。家族のことは家族で決めるのです。

色々と吹っ切れて、母と距離を置いた今、自由をひしひしと感じています。

母が自分がなりたかったワーキングマザーを押し付けられることもありません。

専業主婦としてこども達と過ごす時間をたくさん取れて幸せです。

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
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