音信不通だったが...認知症の叔母の「貯蓄額」に態度が豹変した従兄。12年間の争いの末に<前編>

「22歳年上の従兄と叔母の面倒や遺産を巡り、争ってきた12年間。やっと決着がつきました。従兄とは12年前に認知症の叔母の入院をきっかけに再会するまで音信不通でした。そして、それ以降、私たちは親族間で争うことになってしまったのです...」

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■独身の叔母は私を可愛がってくれて

従兄とは、私が27歳だったとき父のお葬式に会ったきりで、その後は音信不通状態でした。

その従兄と再会したのは、12年前に叔母が施設に入所するときのこと。

ある朝、電話が鳴り響き、朝から何事かと電話に出ると、叔母の家の近くに住む従兄からでした。

叔母が暴れて様子がおかしいと叔母の大家から電話があったので、一緒に叔母の様子を見に行って欲しいとのこと。

叔母は結婚の経験もなく、身内といえば私や従妹を含む甥と姪の9人のみでした。

叔母の自宅までは、車で約1時間半です。

早速、従兄夫婦と母と4人で叔母の自宅に。

叔母は、何変わりなく落ち着いた様子でしたが、また同じようなことがあってはと、今後の叔母の面倒について私と母と従兄夫婦で話し合いました。

従兄は、叔母から特別に可愛がってもらっている私が面倒を見るべきだというので了承しました。

すると、叔母は皆の前で私に全ての預貯金の通帳を渡しました。

私は中身を見て、これだったら、叔母をそれなりの施設に入所させてあげられると思いました。

従兄は興味深そうに「いくらぐらいあるの?」と聞いてきたので、「5,000万円くらいです」と答えました。

なんと従兄は「やっぱり、こちらで面倒見るよ。だってお宅は遠いし。叔母さんも住み慣れた街がいいだろう」と。

私は、その豹変ぶりに唖然茫然でした。

その日は叔母も落着き、土曜日でもあったので、月曜日に病院に連れていくことで、とりあえず私と母は叔母のすべての預貯金の通帳を預かり帰りました。

すると、月曜日の朝早く従兄から電話がありました。

健康法や医療制度、介護制度、金融制度等を参考にされる場合は、必ず事前に公的機関による最新の情報をご確認ください。
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